ラブレターの代筆や販売まで!日本の愛情表現の歴史や込められた意味あれこれ【中編】
前回から、日本人の愛情表現について文学をベースにご紹介しています。
日本人は表現下手…じゃない。日本の愛情表現の歴史や込められた意味あれこれ【前編】今回は、中編として平安時代に焦点を当てていきたいと思います。
平安時代の恋愛は「文」が肝!平安時代の恋愛は、「文」がとても重要な役割を担っていました。恋愛は、男性が女性の住む家の外から垣間見(かいまみ)をして、
文を出す→脈があれば女性から返事が来る→何度か繰り返し→逢瀬というのが基本的な流れ。
なかなか直接顔を合わせる機会がなかったため、男性も女性も文には力を入れていたと想像できます。
恋文の代筆もあった上記の通り、平安時代の恋愛は文のやりとりが中心となりますが、代筆もありました。男性から文をもらった女性も、まずは女房に代筆してもらうこともありました。
そして、やりとりを重ね、男性のことが少しずつわかるようになり、「いいな」と思うと自筆になったそうです。男性側も、歌や字が上手でない場合は代筆を頼むこともありました。
ラブレターは「懸想文」、それを売る「懸想文売り」も登場古くは、ラブレターのことを「懸想文(けそうぶみ)」と言いました。そして、先述の通り、「懸想文」が恋愛において重要な位置を占めていたため、懸想文を結んで売り歩く「懸想文売り」も登場しました。
これは、位の低かった貴族がお金を稼ぐために字が書けない人のために代筆したもの、と言われています。
恋愛マスター和泉式部と「身を知る雨」平安時代の恋愛マスターといえば、和泉式部(いずみしきぶ)が一番にその名を挙げられるでしょう。恋愛の駆け引きが上手だったと言われています。たとえば彼女は、以下のような歌を残しています。
「しのぶらんものとも知らでおのがただ身を知る雨と思ひけるかな」
意味:貴方が私を恋い慕ってくださる涙の雨とも知らず「身を知る雨」かと思っていました
これは、彼女が敦道親王からもらった「おほかたにさみだるるとや思ふらん 君恋ひわたる今日のながめを(意味:こんな雨の日に、貴方はどうしているだろうか……ただの雨だと思っているかもしれませんが、貴女に会えない私の涙なのです)」という歌に対する返答です。
ここでカギとなるのが「身を知る雨」という表現。これは、在原業平が代作した歌に由来しており、雨が降っても会いに来てくれる人なのか、霧雨で約束をすっぽかす人なのかを見極めるという意味になっています。
敦道親王のまっすぐな愛情表現に、一歩上手の返しをした和泉式部という構図になっています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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