密教呪術を用いて怨霊となった政敵を祓う。密教僧の加持祈祷が活躍した平安時代 (2/2ページ)
権力者の中には、密教呪術をもちいて政敵を苦しめ、自分が優位にたとうと考えるものがあらわれたのです。
その一例として、隠子(おんし)のエピソードがあります。
藤原基経の娘で時平の妹だった穏子は醍醐天皇の女御(にょご・后)となりましたが、903(延喜3年)、臨月に際しかなりの難産に苦しめられていました。
このときのことについて『政治要略』には、藤原忠平がこの出産を妨害するためにひとりの老女に穏子を呪わせたとしています。
老女は、時平邸の床下に隠れて折れて弓を用いて、実家に帰っていた后を呪いますが、時平の手配で安産の修法を行っていた天台宗の僧相応(そうおう)等の働きによって、老女の試みは失敗に終わりました。
皇族や貴族は、修法を頼むために比叡山などの大寺院に競うようにして荘園と呼ばれる領地を寄進しました。
その結果、大寺院が広大な土地を支配し、そこから集めた僧兵で武装して、次第に国政にも口を挟むようになっていったのです。
参考
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan