滝沢秀明「電撃退社」をジャニーズ専門家が分析!在籍27年「Jr.の歴史を変えた育成」「SnowManへの超絶サポート」タッキーの「原動力」とは?

日刊大衆

滝沢秀明氏
滝沢秀明氏

 11月1日、ジャニーズ事務所は10月末で、副社長だった滝沢秀明氏が退職していたことを発表した。滝沢氏はジャニーズ事務所の副社長以外にも、子会社でジャニーズJr.(以下、Jr.)のプロデュースを行うジャニーズアイランドの代表取締役も務めていたが、こちらは9月26日時点で退任していたという。

 ジャニーズアイランドの代表取締役の後任は、元V6井ノ原快彦(46)が芸能活動と並行して社長を務めることが決定している。

 滝沢氏は2018年12月に芸能界を引退し、2019年にジャニーズアイランドの代表取締役に就任。裏方としてジャニーズを支えていた。その後、わずか3年でジャニーズ事務所から去ることになった滝沢氏は、どのような功績を残したのだろうか。

 本サイトは、『ジャニーズは努力が9割』(新潮社)などの著書があり、ジャニーズ評論家として活動する霜田明寛氏に話を聞いた。

 滝沢氏は1995年にジャニーズ事務所に入所し、芸能活動を開始。彼のアイドル時代の大きな功績は、「Jr.という集団の認知度を高めたことですね」と霜田氏は語る。

「滝沢さん以前も、KinkiKidsのようにCDデビュ―前から人気だったタレントもいました。ですが、滝沢さんのJr.時代は、さらにステップアップした人気を得ており、Jr.だけの冠番組『8時だJ』(テレビ朝日系)が生まれ、大きく支持を得たんです。滝沢さんがJr.という集団のリーダーのような立場となり、当時から全体に目を配っていました」(霜田明寛氏=以下同)

■10代のころから大人気!大河ドラマで最年少主演

 アイドル時代からJr.たちを率いていた滝沢氏は、個人としても爆発的な人気を得ていた。

「滝沢さんは、1995年のドラマ『木曜の怪談』(フジテレビ系)で一気に知名度を上げました。その後、1999年に松嶋菜々子さん(49)と共演したドラマ『魔女の条件』は、最高視聴率が29.5%(関東地区/ビデオリサーチ調べ/以下同)を記録。月9の主演を2作品務め、2005年のNHK大河ドラマ『義経』で史上最年少の22歳で主演を務めました。当時の人気はものすごかったです」

 滝沢氏は、2001年に『アンティーク~西洋骨董洋菓子店~』(フジテレビ系)、2003年にも『僕だけのマドンナ』(フジテレビ系)で月9の主演を果たしている。霜田氏は、『義経』以降の滝沢氏について続ける。

「2006年に『滝沢演舞城』という、現在も上演されている『滝沢歌舞伎』につながるオリジナル公演を始めました。『義経』以降は全盛期から人気が落ちたというより、滝沢さんが自分から舞台に活動の軸をずらしたという見方もできると思います。舞台はJr.がたくさん出演できますし、先輩としてJr.を育成できる、という面にも魅力を感じたのでしょう」

 滝沢氏は2002年8月に今井翼(41)と共にタッキー&翼としてCDデビュー。2009年にシングル『愛・革命』でソロデビューしている。

「滝沢さんは、音楽面ではそこまで大爆発はしていない印象で、そこはちょっと誤算だったのかなとも思います。タッキー&翼の『夢物語』はヒットしていましたが、ソロの『愛・革命』は、曲が始まる前に独自の口上が収録されているなど、“ジャニーズの舞台”っぽさがスゴいんですよね。広く一般受けするというよりは、コアなジャニーズファンが喜びそうなイメージで、ジャニー喜多川氏の世界観を継いでいる曲ですね」

■ジャニーズJr.の育成に注力、Snow Man人気の立役者

 滝沢氏は2019年にジャニーズアイランドの社長になったが、裏方に回った後も大きな役割を果たしていたようだ。

「言い方はあまり良くないかもしれないのですが、以前であればテレビへの出演は難しかったであろうJr.も、テレビで露出するようになったと思います。昔だと、HiHiJets美 少年のような、超人気者のJr.しかテレビ出演できないようなイメージでしたが、今は地方局の番組にまで、7MEN侍IMPACTors少年忍者といったJr.が、それぞれのメンバーの個性に合わせて番組に出演しています。

 Aぇ!Groupの草間リチャード敬太さん(26)も『鉄腕DASH!』(日本テレビ系)に出演していますが、Jr.の個性を見てそれぞれの場所に送り出すのは、後輩の世話を見るアイドルとしても、タレント事務所の社長としてもすごい手腕だと思います」

 2020年にデビューを果たしたSnow Manに関しても、滝沢氏の手腕が光っているようだ。

「以前であれば、Snow Manのデビューは難しかったと思います。2010年代は、Snow Manの同世代のグループに露出量に、歴然とした差があったんです。King&Prince(以下キンプリ)やLove-tuneが表に出ていて、キンプリはデビュー前の2015年から『テレビ朝日・六本木ヒルズ夏祭り SUMMER VACATION』の応援サポーターに決定するほど推されていました。

 今までは、10代のうちにデビューするのが基本で、3~4年に一度新グループがデビューする、といった流れだったので、SixTONESと2組で同時デビューするなんて前代未聞。20代後半メンバーが多いSnowManがデビューできただけでもスゴいのに、着実にファンを増やし、セールス的にはトップレベルの人気を得たというのは、前例がないと思います」

■ジャニー喜多川氏や後輩への恩返し

 ジャニーズを長年研究してきた霜田氏にとって、滝沢氏はいったいどのような人物に写っているのだろうか。

「滝沢氏は、“恩義に生きる人”といった印象ですね。今回社長と副社長を辞めるのがどういう理由かはわかりませんが、社長を引き継いだのもJr.の育成をしたのも、ジャニーさんへの恩返しが大きいと思います」

 滝沢氏は過去に、ジャニー氏から「Youに10あげるから1返しなさい」と言われたことを話している。その後、ジャニー氏は〈チャンスや環境、全てを与える。あいさつは1だ。だから最低限、あいさつはしろ〉※と話し、滝沢氏は〈本当に全てを与えられていたので、少しでも返したいんですけどね。ただ、与えていただいたものの大きさを考えると、どんだけ恩返ししても足りない〉※と明かしていた。

「滝沢さんは、引退直前のタイミングで中居正広さん(50)に“いくつ返せた?”と尋ねられ、“まだ1個も返せてない”と答えているんですよね。おそらく、滝沢さんご自身が裕福ではない家庭に生まれ、ジャニーズから芸能界入りして大ブレイクしたという点で、環境に感謝をする方なんだと思います。それこそ『義経』のような、武士のように、育成という形で自分に尽くしてくれた後輩に恩義を返す、恩義に生きる人だと思います」

 滝沢氏はジャニーズ事務所から去ることになったが、彼がアイドルとして、社長として成し遂げたかったこととは一体何なのだろうか。

「アイドル時代の後半は舞台が中心でしたね。ジャニーさん自身も舞台に重きを置いている方だった。これは想像の域を出ませんが、滝沢さんが舞台を頑張ることも、ジャニーさんの世界を体現するという意味で、ジャニーさんへの恩返しの1つなのではないでしょうか」

 井ノ原氏がジャニーズアイランドの社長に就任することで、今後ジャニーズにはどのような変化があると考えられるだろうか。

「正直、井ノ原さんの社長就任は未知数です。後輩には優しい方なので、そういう意味ではJr.の育成に向いているのかもしれないですけど……。滝沢さんは映画化もされているミュージカル『少年たち』のような、“ジャニーズの摩訶不思議な世界”を後輩に残そうとしていたし、ご自身でもその世界を作ることができる方です。

 井ノ原さんもの映画『ピカ☆ンチ』の原案を担当するなど、クリエイティブな面もあります。ただ、井ノ原さんは“ザ・ジャニーズ舞台”の人ではないし、“ジャニーさんイズム”の真横にいた方ではないですね」

 ファンに大きな動揺を呼んでいる滝沢氏のジャニーズからの決別。今後、いったいどのような影響を及ぼすのだろうか――。

※『Myojo』(集英社)2015年5月号より

霜田明寛(しもだ・あきひろ)ジャニーズ評論家。2009年に初の書籍を出版、2016年から『永遠のオトナ童貞のための文化系WEBマガジン・チェリー』編集長を務め、エンターテインメントを紹介。就活アドバイザーとしても活動している。著書に『ジャニーズは努力が9割』(新潮社)、『面接で泣いていた落ちこぼれ就活生が半年でテレビの女子アナに内定した理由』(日経BP)などがある。

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