ロンドン留学769日が夏目漱石に残したもの 〜小説家としての人生にも影響

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ロンドン留学769日が夏目漱石に残したもの 〜小説家としての人生にも影響

日本の文豪として最も有名な人のひとりが、夏目漱石ではないでしょうか。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』などの作品で知られますが、夏目漱石がロンドンに留学していたことをご存じですか?

約2年(769日)のロンドン留学は、彼の小説家としての生き方にも大きな影響を与えました。

夏目漱石

英語が大嫌いだった漱石

夏目漱石に成績優秀なイメージを持っている方も多いと思います。しかし、学生時代は漢文が好きで、英語は大嫌いだったとか。

実際に、談話『落第』のなかで彼は「英語ときたら大嫌いで手に取るのも厭な様な気がした」と述べているほどです。

やがて英文学を専攻するまでに

学生時代に落第を経験してしまった漱石は、一念発起し、勉強にさらに力を入れることに。

その結果、英語は得意科目となり、帝国大学(現在の東京大学)で英文学を専攻します。帝国大学も主席で卒業しています。

熊本の高校から、イギリス留学へ

1900年(明治33年)、漱石は勤務していた熊本の高校から推薦を受けて、文部省の国費留学生のひとりに選ばれます。当時、33歳。

妻と幼い娘を日本に残し、約2年の留学が決まりました。

厳しい生活が続く

夏目漱石は、なかなかイギリスの生活になじめなかったようです。英語教師をしていた彼の英語は現地では通じず、また録音機器も未発達で、ネイティブの発音を学ぶのは困難でした。

さらに、年間1800円をもらっていましたが、ほとんどを本代にあてていたため、生活は貧しかったといいます。部屋から一歩も出なくなってしまったとも。

漱石が下した、とある決心

漱石は、「根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心」します。

日本でこれまで学んできた漢文と、英文学との違いに気づいた彼の、大きな決心です。これが、彼の文学の道を花開かせることになりました。その後、人との接触を絶ち、ひたすら現地の本を読みふけったといいます。

そして、日本に帰国後、「小説を書いてみないか?」と知人からすすめられ、『吾輩は猫である』を執筆します。その後、『坊ちゃん』などを発表し、小説家としての地位を確立していきました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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