「鎌倉殿の13人」死角から現れる刺客は公暁か、あるいは…第43回放送「資格と死角」予習

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「鎌倉殿の13人」死角から現れる刺客は公暁か、あるいは…第43回放送「資格と死角」予習

鎌倉殿の跡継ぎは、京都から養子を迎える……源実朝(演:柿澤勇人)の衝撃発言に、執権・北条義時(演:小栗旬)は猛反対。

しかしこれは尼御台・政子(演:小池栄子)の助言によるもの。義時の北条第一な態度を非難します。

「前にあなたは言いました。『北条あっての鎌倉ではなく、鎌倉あっての北条』だと」

更には朝廷とつながりの深い源仲章(演:生田斗真)も手引きしており、一筋縄ではいかない様子。

「このままではすまさん」

怒りを燃やす義時。しかしそれもこれも自分が強引な独裁政治をしてきたツケに他なりません。

北条から、鎌倉を取り戻す。果たして実朝の悲願は達成できるのか(イメージ)

我が子・北条泰時(演:坂口健太郎)にさえ「鎌倉は、父上だけのものではございませぬ!」と批判される始末でした。

そこへ京都で修行していた公暁(演:寛一郎)が、建保5年(1217年)6月20日に鎌倉へ帰還。鶴岡八幡宮の別当に就任した彼ですが、その待遇に納得するのでしょうか……?

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第43回放送は「資格と死角」。サブタイトルの意味するところは、鎌倉殿になる資格(候補者たちの思惑)と、思いもよらなかった死角。

この死角から、やがて実朝を暗殺する「刺客」が現れるのだろうな……と連想、暗澹たる気持ちになってしまいますね。

しかし、ここまで頑張って観て来たのだから、今さら挫けてなどいられません。今週も張り切って予習しましょう!

政子、上洛する

時は建保6年(1218)2月4日、尼御台・政子は熊野詣でのため鎌倉を出発しました。

同行するのは弟の北条時房(演:瀬戸康史)と、亡き稲毛重成(演:村上誠基)の孫娘。彼女は重成の娘が綾小路師季(あやのこうじ もろすえ。源師季)との間に産んだ子で、土御門通行(つちみかど みちゆき。土御門通親の子)のもとへ嫁がせると言います。

京都へ旅立つご一行様(イメージ)

一行は2月21日に入洛(じゅらく。京都へ到着すること)、熊野詣でなどの用事も無事に済ませて4月15日に出発。鎌倉へは4月29日に帰ってきました。

……ソノ同二月廿一日ニ。実朝母ハ熊野ヘ参ラントテ京ニ上リタリケルニ。卿二位タビタビユキテヤウヤウニ云ツツ。尼ナル者ヲハジメテ三位セサセテ。四月十五日ニ下リニキ……

※慈円『愚管抄』第六巻より

【意訳】2月21日、実朝の母(政子)が熊野詣でのため上洛してきた。藤原兼子(卿二位)はたびたび宿所を訪問して様々なことを話し、彼女を三位に推薦。そして4月15日に帰って行った。

4月14日付で政子は初めて位(従三位)を授かり、いきなり公卿(3位以上の最上級貴族)の仲間入りです。これについては朝廷の中でもちょっと議論を呼んだらしく、『吾妻鏡』にもそのことが書いてあります。

晴。申剋。尼御臺所御還向。南山御奉幣無爲。御在京之間有珎事等。去四日御幸于大秦殿。仍立御車於三條河原邊。令見物給。因茲。御幸之儀殊被刷之云々。同十四日可令敍從三位之由宣下。上卿三條中納言〔參陣〕。即以淸範朝臣。被下件位記於三品御亭。此事儀定及細碎歟。出家人敍位事。道鏡之外無之。女敍位者。於准后者有此例。所謂。安徳天皇御外祖母也。亦知足院殿御母儀准后事。適出家以後也。仍以彼准據被敍之云々。同十五日自仙洞可有御對面之由雖被仰下。邊鄙老尼咫尺龍顏無其益。不可然之旨被申之。抛諸寺礼佛之志。即時下向給云々。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)4月29日条

出家した者に官位を与えるのは、逆賊・道鏡(どうきょう)の悪しき前例のみ。と思ったら、藤原全子(ふじわらの ぜんし/またこ。知足院殿・藤原忠実の母)も出家後に官位を授かっていたので、めでたく認められたようです。

また、この他にも4月4日に後鳥羽上皇(演:尾上松也)の行幸を見物するなど楽しんだようですが、その上皇陛下(仙洞)より「対面を許す」との仰せがあるとこれを辞退しました。

「畏れ多くも上皇陛下に、こんな田舎婆さんがお会いするなど、お目汚しになるだけです」

【読み下し】辺鄙(へんぴ)の老尼(ろうに)、龍顔(りゅうがん。高貴な=陛下のお顔)の咫尺(しせき。お近づきになること)その益なし。

実に慎み深い態度ながら、実のところは取り込まれまいと敬遠したのではないでしょうか。そのまま長居するのも気まずいので、辞退した4月15日にすぐさま京都を出発したのでした。

時房、蹴鞠を披露する

さて、政子に随行していたトキューサこと時房。こちらは京都に残ります。後鳥羽上皇の蹴鞠(しゅうきく)にお付き合いするためです。

晴。相州依召被參御所。洛中事被尋仰之處。相州被申云。先去月八日梅宮祭之時。御鞠有拝見志之由。内々申之間。臨幸件宮。右大將〔半蔀車。具隨身上臈〕被刷顯官之威儀。是皆下官見物之故也云々。同十四日初參于御鞠庭。着布衣〔顯文紗狩衣。白指貫〕。伴愚息二郎時村〔二藍布狩衣。白狩袴〕。公卿候簀子。上皇上御簾叡覽之。同十五日。十六日以後。連々參入。當道頗得其骨之由。叡感及數度。院中出仕不知案内之旨。示合之間。尾張中將淸親〔坊門内府甥〕毎事扶持。生涯爭忘其芳志哉云々。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)5月5日条
※鎌倉へ帰って来てから、京都での出来事を報告しています。

4月8日、梅宮大社のお祭りに際して内々のオファーがあり、4月14日に愚息の北条二郎時村(じろう ときむら)を連れて蹴鞠場へ参上しました。

蹴鞠の腕を披露する時房たち(イメージ)

その時の装束は顕文紗(けんもんしゃ)の狩衣(かりぎぬ)に下半身は白い指貫(さしぬき)。時村は二藍布(ふたあい)の狩衣に白い狩袴(かりばかま)。

顕文紗とは織物の一種で、その名の通り文様を顕わに浮き立たせるように織り、かつ裏地に対照的な色を配することでより引き立てるというもの。

指貫とは袴の裾に紐を通し、締められるようにしたもので、状況に応じて丈の調節が可能な袴です。

また二藍布とは藍に紅を重ね染めした紫系の色で、白い狩袴と合わせてよく映えたことでしょう。

指貫は五位以上の者にのみ許されており、時房(従五位下)は指貫を穿き、六位以下の時村(無位)は狩袴を穿いたのでした。

さて、いよいよ本番。後鳥羽上皇も御簾(みす)を上げてご覧になる中、時房はその腕前をいかんなく発揮したと言います。

「……相州(時房)はまことに蹴鞠の骨髄を得ておる(當道すこぶるその骨を得る)」

後鳥羽上皇もしきりに感心され、つつがなくお役目を果たした時房。坊門清親(ぼうもん きよちか。千世の従兄弟)が宮中の作法をレクチャーしてくれたお陰だと感謝していました。

なお、時房たちは5月4日に鎌倉へ帰り着いています。

頼仁親王、鎌倉殿の後継者候補に

さて、政子が藤原兼子とたびたび会談したのは、鎌倉殿の「跡継ぎ問題」を話し合うためでしょうか。

……実朝ガアリシ時。子モマウケヌニサヤ有ベキナド。卿二位物語シタリト聞ヘシ名残ニヤ。カカル事ヲ申タリケル。信清ノヲトドノムスメニ西ノ御方〔坊門局〕トテ。院ニ候ヲバ卿二位子ニシタルガ腹ニ。院ノ宮〔長仁親王〕ウミ参ラセタルヲ。スグル御前ト名付テ。卿二位ガ養イマイラセタル。初ハ三井寺ヘ法師ニ成シマイラセントテ有ケル。猶御元服アリテ親王ニテヲハシマスヲ。モテアツカイテ位ノ心モ深ク。サラズハ将軍ニマレナド思ニヤ……

※慈円『愚管抄』第六巻より

【意訳】かつて、実朝に子供がいないことについて、藤原兼子(卿二位)がこんなことを言っていた。「西御方(にしのおんかた。坊門局、坊門信清の娘)が産んだ後鳥羽上皇の皇子を将軍(鎌倉殿)にしてはどうか」と。

すぐる御前と名づけられ、はじめは出家していたものの、元服を機に還俗。彼が頼仁親王(よりひとしんのう)です。

鎌倉に皇族将軍を(イメージ)

実朝にとっては義理の甥に当たるため、鎌倉殿の後継者として資格は十分と言えるでしょうか。

この話を持ちかけられた時点の政子は「縁起でもない(きっとお世継ぎが生まれるはず)……でも、万が一の保険としては悪くない」と思っていたか、前向きにとらえていたものと考えられます。

しかしいざ実朝が暗殺されると、後鳥羽上皇の反対によって計画は頓挫。皇子を北条の人質にとられると危機感を抱いたのでしょう。

まだ大河ドラマではキャスティングが発表されていないようですが、誰が頼仁親王を演じるのか、そしてどんなアレンジがされるのか楽しみですね!

公暁、千日参籠を始める

京都でそんな話が進んで?いた一方、公暁は千日参籠に入っていました。

晴。阿闍梨公曉補鶴岳別當職之後。始有神拝。又依宿願。今日以後一千日。可令參籠宮寺給云々。

※『吾妻鏡』建保5年(1217年)10月11日条

【意訳】晴れ。公暁が鶴岡八幡宮寺の別当となってから初めて参拝。かねての願いを叶えるため、この日から千日参籠を行なう。

千日参籠とは文字通り、千日間(約3年間)にわたるお籠りの修行。基本的に外界との交流を一切遮断する厳しいものです。

千日参籠に臨む公暁(イメージ)香朝樓筆

とは言え、完全に遮断するわけにもいかないので、連絡役として稚児の駒若丸(演:込江大牙)が任命されます。

駒若丸は三浦義村(演:山本耕史)の三男で、元服して三浦光村(みつむら)と改名。後に三浦一族きっての武闘派に成長しますが、それはまた別の話し(大河ドラマの時代では言及されません)。

ところで義村は公暁の乳父であり、公暁が鎌倉殿になることを望んでいたことでしょう。それが頼仁親王にとって代わられるとあれば、心中穏やかではないはずです。

何とか公暁を鎌倉殿に……義村はどのようなアプローチを行い、その中で駒若丸がどんな役割を演じるかが見どころとなるでしょう。

終わりに

他にも実朝の従弟である阿野時元(演:森優作)を推す実衣(演:宮澤エマ。阿波局)など、この時点ではまだ源氏の血を引く者もいくらかおり、鎌倉殿の「資格」をめぐって対立が続きます。

義時にとって不利な状況が続く中、果たして朝廷からの干渉にどう対抗し、手を打っていくのでしょうか。

そして「死角」から現れる「刺客」は公暁か、あるいは思いもよらぬ第三者か、三谷幸喜によるアレンジに注目です。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月 三谷幸喜『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版、2022年10月

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