時代によって異なる「侍(さむらい)」の定義…その立ち位置の変遷をたどる
「侍」イコール「刀を持った人」ではない!?
「侍(さむらい)」という言葉は、特に違和感なく使われることが多いですが、その定義についてはあまりよく知られていません。
もともと侍は「侍う(さぶらう)」という言葉が由来です。人に仕える・見守るという意味があります。
サムライといえば剣を持った武士のイメージがありますが、一人で剣を振るっているだけの人は野武士や浪人です。
侍は、その言葉の由来通り人に仕えることが必要なのです(ちなみに、戦時に臨時で雇われるのも侍ではなく足軽と呼ばれます)。では具体的に誰に仕えるのかというと、それは時代によって変化していきました。
蓑を身に着け、雨中を火縄銃の射撃姿勢をとる足軽(Wikipediaより)
話は平安時代にまでさかのぼります。当時は天皇や貴族に仕える武士のことを侍と呼んでいました。
身分が高かった「侍」平安時代後期、平将門や藤原純友など地方の武士が台頭してきます。これらの有力な武士たちの中には朝廷に仕える者もいて、それらの武士が侍と呼ばれるようになります。
当時の侍のメインの仕事は刀を振るうことではなく、天皇や貴族の身の回りの雑務や、朝廷での事務仕事、争いの鎮圧、要人の護衛などでした。
そして、身分の高い人物に仕えるため、侍自身も身分が高くなければなりませんでした。
鎌倉時代になると、いわゆる御家人が登場します。特に、幕府に仕える御家人が侍と呼ばれるようになりました。
ちなみに、御家人に仕える武士は侍とは呼ばず、郎従や郎党と呼ばれました。
室町時代も、仕える相手が足利家になっただけで、全体の構造は鎌倉時代と変わりません。
時代によって仕える対象に若干の違いはあるものの、室町時代までは共通して侍自身にも身分の高さが求められていました。
戦国時代から「侍」の終焉までこれが戦国時代になると少し変化が出てきます。この頃から、侍は戦場で戦う武士全般を指すようになりました。
つまり、侍を名乗るのに身分が関係なくなるのです。
江戸幕府になるとまた変化し、侍を名乗るにはある程度の石高や家の格式などが必要になります。侍と呼ばれたのは旗本以上の武士に限られていました。
しかし兵農分離が進むにつれて、刀を持つ武士は総じて侍と呼ばれるようになっていきます。
そして明治時代、1876年に発布された廃刀令によって一般人は刀を持つことができなくなり、1877年の西南戦争を境に、「侍」という身分は日本から消えていったのです。
参考資料
刀剣ワールド 毘沙門グループレストラン日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan