日本と中国の食文化はどう異なる?祭祀での供え物や食事も異なる?

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日本と中国の食文化はどう異なる?祭祀での供え物や食事も異なる?

日本料理と中華料理の大きな違いは二つある。ひとつは、日本では魚をのぞいて動物の形を残さないように調理することである。動物の形がそのまま残ったものをどこか生々しい、グロテスクだと感じ、拒否反応を示す日本人は少なくない。

■頭や足、内臓などの利用方法が異なる日本と中国

もうひとつは、日本では家畜の頭や足、内臓は正式の料理にも、家庭料理にもあまり使わないことである。地域によって多少の違いはあるだろうが、概ね日本の料理はこのような特徴があると言えるだろう。

一方で中華料理は、北京ダックや豚の丸焼きなど、動物の形が残ったままの料理はごく一般的である。豚足は細かく切らずにそのまま調理されるし、鶏やスッポンの姿蒸しも珍しくない。また、中華料理はレバーだけでなく腎臓や肺、心臓、胃袋など、様々な内臓を調理するのも特徴である。それだけでなく、豚や鶏、家鴨の血などもれっきとした食材として扱われる。日本と中国という非常に近しい文化を持つ二国だが、何故このような違いが食文化に見られるのだろうか。様々な理由が考えられるが、その理由のひとつに祭祀のしきたりの違いが挙げられるだろう。

■日本の祭祀における食事や供え物

日本人は祭祀のときに肉類をまったく使わない。日本では仏教式の祭祀に五品が供えられる。ご飯、煮物、豆類(あるいはおひたし)、香の物、汁。むろん料理の方は全部精進料理である。
神道の場合は七品目。米、塩、水、お神酒、季節の野菜、季節の果物と尾頭付きの魚(たいていの場合はスルメ)。それ以外に季節によって餅や菓子を添えてもかまわない。

仏教、神道にかかわらず、どちらの場合にも肉類はないし、ましてや禽獣類を丸ごと調理する発想はまったくない。海産品をのぞいて、日本人は丸ごと調理したものを気持ち悪いと思い、また家畜や家禽の内臓や足、頭を食べない。そうした心理は祭祀の習慣とかかわりがあるのではないだろうか。事実、日本では魚を丸ごと調理し、丸ごと食卓に出す。祭祀に丸ごと調理した魚を供えるからであろう。魚の内臓を捨てないことがあるのもおそらく同じ理由であろう。

■中国の祭祀における食事や供え物

中国の食習慣も祭祀のしきたりと密接な関係がある。仏教が入る前から神々に「六牲」、つまり、六種類の禽獣を捧げる習俗があった。また、死者を祀る時にも料理を供える。天神を祀る祭祀では牲の血を供えるが、先祖を祀る大饗では生肉を供える。動物の首や心臓、肺、肝臓なども供物として祭祀に使われている。「首を供えるのは、首は全体の正(長)だから」と言い、「牲の血を供えるのは生気の盛んなることを尊び、肺、肝、心臓などを供えるのは生気の元になる部分を尊ぶ」として、内臓もまるごと供えるのである。

祭祀が終われば供えた料理は祭を行う人々が食べることになるという点では日本と中国は同じであり、祭祀の供物の文化の違いがそのまま食文化の違いへとつながっていったのだろう。

■参考資料

■張競 著「中華料理の文化史」(1997年・筑摩書房)

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