沖縄の一部の地域に残る「オウに行く」という表現は人の死を意味する

心に残る家族葬

沖縄の一部の地域に残る「オウに行く」という表現は人の死を意味する

筒井功氏の著書である「葬儀の民俗学 古代人の霊魂信仰」によると沖縄の一部の地域では、人が亡くなることを「オウに行く」と表現するという。沖縄本島と周辺の島々には奥武島(「オウジマ」と読む)など、少なくとも八カ所「オウ」と付く地名があり、その過半が古くからの墓地や聖地であったそうだ。つまり、オウが葬所を意味しているのである。

■オウと名のつく地域と深い関係にあった葬所

1986年に発行された角川書店刊『日本地名大辞典』の「沖縄県」の初版の「奥武(玉城村)」の項によると、地名のオー(オウの方言だとしている)は大きな島の近くにある小島に多く、墓地の島、ないしは古く墓地であったものが多い」と記されている。

角川の地名大辞典には七カ所のオウの付く地名が立項されており、そのうち葬所と最も直接的な関係が示されているのは沖縄本島北部名護市の奥武島であるだろう。今では橋がかけられており、青い海と白い砂浜が美しい穴場観光スポットとなっているが、昔は墓地として利用されている無人島であり、新旧様々な形の墓が見られたそうだ。この辺りの地域では「オウに行く」というのは死を意味し、普段この島を話題にすることは禁忌であったとされている。

また、沖縄本島の南部東岸には、北中城村の奥武岬がある、この土地にも、崖の中腹に横穴を開けて遺体を納める堀込みの墓が作られていたという。

沖縄において、「オウ」と葬所は密接な関係にあったことが分かるだろう。

■オウ=青?「青」のつく地名と葬所の関連

「アオ」の音は「オウ」という音へ変化しやすい。地名で言えば東京都の青梅市は「オウメ」、埼玉県松山市の青鳥は「オウドリ」と読む。また、「青」の付く地名が墓地・古墳などに関連する例が全国にいくつか存在する。このことから、沖縄での「オウ」は、元は「アオ」であり、奥武島などが葬所と関連があるように、「青」という言葉が付く土地は葬所と関係があるのではないかと考察できる。

全国にある「青」のつく墓地・古墳と関わりのある地の一つとして、宮城県登米市の青島貝塚が挙げられる。縄文時代の貝塚は主にゴミ捨て場として機能していたが、同時に葬所でもあった。この土地からは縄文人の屈葬人骨や、幼児骨などを納めた埋め甕が発掘されており、縄文時代の葬所であったことは明らかである。
また、京都府北部の丹後半島東岸に伊根という土地がある。その付近には、「青島」という島がある。この島はいつとも知れない頃から伊根の住人の火葬の場であり、昭和十七年十月まで続けられていた。青島での火葬が止んだのは、太平洋戦争に先だつ日中戦争のあいだに、青島が軍用地に収用され、魚雷艇の発進基地が置かれたからである。島は立ち入り禁止になり、やむなく陸地の大浦集落へ葬所を移したそうだ。
「青」の付く土地においての葬所との関連は、縄文時代から現代にいたるまで長きにわたるものであることが分かるだろう。

■「青」と人の死

「青」とは、私達が普段の日常生活でもよく使う色の名称である。現代でこそ、色を表す言葉は緑、黄、橙、紫など、数多く存在するが、日本古来より使われていたという色の名前は赤、黒、白、青の四色であったとされる。これらの色はそれぞれ彩度や明度の状態を表しており、赤は「明るい」、黒は「暗い」状態であり、赤と黒は対極である。白は著し(しろし と読む)であり、ハッキリしている様を表す。そしてその白と対極にある青は、「淡し」であり、ぼんやりとしている様を表す。「青」と付く地名と葬所に関わりがあるのは、確かな肉体を持ち、地に足をつけハッキリとそこに存在していた「生」の状態と対の、淡く、儚くなってしまった「死」の状態を表しているからではないだろうか。

■参考資料

筒井功『葬儀の民俗学 古代人の霊魂信仰』2010年3月 河出書房新社

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