闇に紛れたり変装したり…カッコいい「忍者装束」はどのように使われていたのか?
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忍者
「忍者装束」の由来
忍者装束と言われて私たちがイメージするのは、全身黒ずくめで、目出しマスクのような頭巾をかぶっているスタイルです。あんなスタイルを現代社会でやったら完全に不審者ですが、忍者というだけでかっこよく見えるから不思議です。
しかしあの頭巾は、最初からああいうものが使われていたわけではありません。最初、いわゆる忍者たちは手拭いで顔を隠して行動しており、それが発展してああいうスタイルになったのです。
また、いわばフルフェイスの頭巾が採用されたのは、顔を隠す以外にも頭を隠すためという理由がありました。江戸時代の成人男性はさかやきという、髪の毛を剃り上げたヘアスタイルだったため、この剃り上げた箇所を隠すことで正体がばれないようにしたのです。
それから忍者装束のイメージとして根強い黒ずくめという点ですが、実際には本当に真っ黒ということは少なかったようです。
忍者の多くは、昼間は農民として過ごし、夜に諜報活動などを行うという生活を送っていました。夜に行動するなら黒ずくめの方が目立たなさそうですが、実際には姿かたちが浮き上がりやすいのです。
よって、実際に使われていたのは濃紺や柿色のものが多かったとされています。
こうしたスタイルの元祖は、伊賀地方の農民(忍者)だと言われています。
「七方出」の変装装束さて、忍者の服装といえば、前項で取り上げた全身一色の衣服のほかにも変装装束が挙げられます。
忍者は、昼間は町中などで一般人の姿を模して、周囲に溶け込みながら活動する必要がありました。
忍者がよく変装した7つの職業は七方出と呼ばれており、虚無僧、出家、山伏、商人、放下師、猿楽師、常の形、の7つがあったと言われています。以下で、一つずつ説明しましょう。
まず、虚無僧は禅宗の一派の僧侶のことで、天蓋と呼ばれる大きな編笠を被った姿が特徴的です。僧侶なのもあって関所を通りやすかったといわれており、多くの忍者が虚無僧に変装しました。
次に出家とは虚無僧以外の僧のことです。当時、寺はたくさんの人や情報が集まる大きなコミュニティでした。忍者は身分を偽って僧に変装し、各地の寺で情報収集にあたったのです。
山伏は山で修行する修験者のことで、特徴的な修験装束を着用します。山を越えて国を行き来することができたため、これもまた忍者にうってつけの変装でした。
芸まで身に付けていた忍者たち七方出について引き続き説明します。商人はその名の通り、町で商いを行う人のことで、町の中での情報収集に適していたとされています。
放下師はあまり聞き慣れない名称ですが、これは今で言う大道芸人のことです。よって、放下師に扮する忍者は大道芸の技を身に付けている必要があり、その意味で変装する候補としてはややハードルが高いと言えるでしょう。
猿楽師は能役者のことで、大名などの屋敷に出向いて能や狂言を行います。芸を見せるという点では上述の放下師と似ていますが、放下師は路上での情報収集に向いているのに対し、猿楽師は屋敷での情報収集に適していました。
最後に、常の形とは町に住む一般の農民や武士のことです。忍者が普段過ごす格好のことを指しています。
このように忍者は目的に応じて様々な装束を身に着け、正体を隠して任務を遂行していたのです。
参考資料
刀剣ワールド
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan