軍事施設、政治の拠点、権力の象徴…日本の「城」の歴史を紐解く【後編】 (3/4ページ)

Japaaan

一対一の戦というものはなくなり、集団戦が当たり前となった上に鉄砲も使われるようになったことから、武将たちは戦略・戦術の変革を余儀なくされ、それにあわせて軍事施設としての城のあり方も問い直されていきました。

また同時に、城は政治の拠点でもあるので、山の上では領地の管理運営がやりにくいということで山城という形態は少しずつ姿を消していきます。かわりに、丘陵に建てられた平山城や、平地の平城が主流になっていきました。

しかし、標高の低い丘陵や平地では攻められやすいため、必然的に山城と同等の防衛力を確保するには、城をより頑丈に、より大きくする必要があります。しかも領主が抱えている戦力が大きければなおさらで、こうして日本の城は巨大になっていきました。

権力の象徴から破壊対象へ

さて、戦国時代も終わりが見えてくると、今度は城は権力の証という役割を持つようになります。

そのはしりと言えるのが安土城大阪城で、いずれも豪華絢爛なものでした。特に秀吉の大阪城と伏見城のあたりからは天守閣も流行し始めます。こうして城は権力の象徴となっていきました。

大阪城天守閣

江戸時代には、さらに城のあり方が変わりました。天下泰平の世では、城が軍事拠点として認識されることは少なくなりあくまでも政治の場として利用されるようになります。

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