ITを駆使して歴史を紐解くコミュニティの主宰者が、重要文化財「薬師如来立像」の来歴を解明!400年以上をかけて奈良市の東南から北西まで移動した変遷が明らかに (3/4ページ)
■奈良の古地図に「きかいが嶋」など謎の記載を発見したことを機に、徹底調査をスタート
「薬師如来立像」の来歴を紐解くきっかけとなったのは、Maplatを利用して運営する街歩き用古地図サイト「ぷらっと奈良」の開発でした。奈良の古地図を見ていた時に、当時住んでいた奈良市本薬師東町近辺に、「きかいが嶋」「奥芝辻へひける」などという、現在周辺に伝わる古跡などからは解析できない、謎の記載を発見したのです。
俄然、好奇心を掻き立てられ、室町時代から昭和時代までの、『多聞院日記』『奈良名所八重桜』『中野友山文庫奈良地誌』『奈良坊目拙解』『大和名所図会』といった多数の地誌、さらに古地図まで丹念かつ横断して徹底的に調査。その結果、作風から鎌倉時代ごろの作との見立てがなされていたものの、詳しくはこれまで知られていなかった「薬師如来立像」の来歴を突き止めることに成功しました。
■1578年に売却された記録を発見、鎌倉殿・源頼朝から下賜されたというロマンあふれる伝説も
明らかになったのは、「薬師如来立像」の1578年までさかのぼる来歴。奈良市高畑町字本薬師町(現在の奈良教育大学構内付近)にかつて存在した「鬼界ヶ島」と呼ばれる地域にあった薬師堂に安置されていた「薬師如来立像」が1578年に売却されたことが判明しました。
売却された「薬師如来立像」は、鬼界ヶ島から勧修坊(現高畑町字山之上)、奥芝辻町(現奥芝町)へと移送を繰り返します。江戸時代後期に菖蒲池町称名寺に引き取られて山門西脇の薬師堂に安置され、その後、国の重要文化財に指定。奈良国立博物館に寄託されることとなりました。
今回の調査を通じて、「薬師如来立像」が実は源頼朝から下賜されたのではないかという伝説も発見しています。大河ドラマで脚光を浴びている源頼朝にまつわる逸話は、大いに夢とロマンがあり、新たな観光需要の喚起につながる可能性も大。自身の発見を通じて奈良の活性化にも貢献できることを願ってやみません。