不義密通を疑われ…彼女の腹から出てきたのはなんと!義時の姉妹・北条時子の悲劇【鎌倉殿の13人 外伝】
「生水(なまみず)に気をつけるんだよ」
ふた昔し、み昔しくらい前は、よくそんな事を耳にしました。
ピンと来ない方向けに説明すると、生水とは川や井戸などからくんだままの(沸騰させない)水のこと。キレイに見えても細菌や寄生虫など、時には生命を脅かす危険があります。
だから飲む前に必ず沸騰させるのが鉄則。しかし見ただけでは分からないため、うっかり飲んで大変な事態を招くことも多かったようです。
そこで今回は鎌倉時代、生水が原因で生命を落とした北条時子(ほうじょう ときこ)のエピソードを紹介。果たして、どんな最期を遂げたのでしょうか。
不義密通を疑われ……北条時子は生年不詳、後に鎌倉幕府の初代執権となる北条時政(演:坂東彌十郎)の娘として生まれました。
名前は時子と伝えられているものの出典は不明。時政の娘だから政子(演:小池栄子)と名付けられた姉妹と同じ要領でそう呼ばれるようになったのでしょう。
そのためか、政子の姉(先に生まれたから時政の時を名前につけた)という説もあるようです。
時子は治承5年(1181年)2月1日、下野国(現:栃木県)の御家人・足利義兼(あしかが よしかね)に嫁ぎました。
……足利三郎義兼嫁于北條殿息女……
※『吾妻鏡』治承5年(1181年)2月1日条
文治5年(1189年)には嫡男・足利義氏(よしうじ)を生んだほか、子宝に恵まれたものの、やがて彼女を悲劇が襲います。
夫の義兼が鎌倉へ出仕していたある日、喉の乾いた時子が侍女の藤野(ふじの)に汲ませた水を飲みました。すると腹がふくれ出し、たちまち妊婦のようになってしまったのです。
「さて、これはどうしたことか……?」
やがて義兼が鎌倉での奉公から帰ってくると、藤野は根も葉もないことを言い出しました。
「わたし見ました。御台所が又太郎(足利忠綱)殿と通じていらっしゃるのを!」
お腹がふくれているのはその子供を宿しているから……いきなり何を言い出すのか、必死に否定する時子でしたが、義兼は信じてくれません。
「むきになって否定するところを見ると、怪しいのぅ」
このままでは不義密通の既成事実が広がってしまう……汚名を受けて永らえる命に何の価値があろう、と時子は自害してしまいました。
エピローグ「私が不義の子をなしたか否か、その目でしかと検(あらた)めよ!」
……果たして遺体を解剖させたところ、時子の腹からはびっしりと大量の蛭(ヒル)が出てきたと言います。
恐らく、生水に棲んでいた蛭(あるいは類似した寄生虫)の卵が体内で孵り、そのまま繁殖してしまったのでしょう。ビジュアル化したら、凄まじい光景になりそうです。
こうして潔白が証明された時子。後悔と悲しみに暮れた義兼は、あらぬ噂を吹聴した藤野を牛裂きの刑に処しました。
牛裂きとは、片足ずつ牛に縛りつけてそれぞれの牛を別方向へ走らせて身体を両断する極刑。これまた凄惨な光景ですね。しかし自害してしまった時子の命はもどらず、後悔した義兼は彼女をねんごろに葬ったのでした。
以上が北条時子の「蛭子(ひるこ)伝説」。なお、彼女の墓は法玄寺(栃木県足利市)にあり、今も静かに眠っています。
※参考文献:
北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan