宗家の座を巡って徳川家康に敵対した、もう1つの松平家当主・松平昌久とは?【どうする家康】 (2/3ページ)
以後、大草松平家は清康の安祥松平家に仕えることになります。
松平昌久の生涯昌久も父の昌安同様、安祥松平家に仕えていました。しかし、永禄6年(1563)に三河一向一揆が勃発すると、安祥松平家当主・徳川家康に敵対します。
昌久は再起を考えていた今川家臣の吉良義昭と協力。義昭が居城とする東条城で挙兵しました。
三河一向一揆は、昌久や義昭たちの家康に敵対する勢力が優勢でしたが、永禄7年(1564)1月に、家康が一揆を解体すると事態は一変。家康サイドが優勢になり、同年2月に東条城は落城しました。
落城後、昌久は行方をくらませ、その後の動向は不明なまま歴史の表舞台から退場しました。
大草松平家のその後昌久という当主を失い、三河一向一揆の敗北で大草城も失った大草松平家の者たちは、浪人となりました。そして、昌久のひ孫で大草松平家7代目当主である松平康安(まつだいら-やすやす)が若い時より松平信康(家康の嫡男)に仕えます。