北条泰時の判断は?承久の乱で一番乗りを争った御家人たちのエピソード【鎌倉殿の13人】 (1/4ページ)
「何のナニガシ、一番乗り!」
誰よりも真っ先に敵中へ乗り込む一番乗りは、合戦において高く評価される武功でした。だからこそ、多くの武士たちが先を争ったのですが、ここで一番乗りの定義が気になります。
敵中へ乗り込んだと判定されるのは、どこまで敵に接近したことを言うのでしょうか。まして仲間と先を争っている場面であれば、どっちが先に達したかの判定もしなければなりません。
そこで今回は『吾妻鏡』より、承久の乱(承久3・1221年5~6月)のハイライトであった宇治川合戦の戦後処理を紹介したいと思います。
一番乗りは川に入った瞬間?それとも渡り切った瞬間?時は承久3年(1221年)6月17日、決戦に勝利した北条泰時(演:坂口健太郎)は六波羅に入り、共に戦ってくれた者たちの論功行賞を行なっていました。
「ん、何を騒いでおるか」
「それが……」
見れば佐々木信綱(ささき のぶつな)と芝田兼義(しばた かねよし)が口論しており、何でも「どちらが一番乗りか」を争っているとのこと。
「分かった分かった。