「野心」はなぜ野の心?その語源は中国古典『春秋左氏伝』から (2/3ページ)
諺に曰く、狼子(ろうし)は野心なりと。是れ乃(すなわ)ち狼なり。其れ畜(やしな)ふ可(べ)けんや。
楚(そ)国の司馬であった子良(しりょう。闘子良)が男児を授かり、子越(しえつ。闘椒)と名づけられました。実に喜ばしいことですが、父の子文(しぶん。闘穀於菟)はこの男児を殺すように命じます。
「見ろ。姿は熊や虎のよう、声はヤマイヌ(豺)か狼のようではないか。生かしておけば、必ず我ら若敖(じゃくごう)一族を滅ぼすことになろう」
生まれたばかりの赤子を前に随分なご挨拶もあったものですが、子文は言葉を止めません。
どれほど歳月を経ようと、狼は生まれてから死ぬまで狼。犬ではないのである(イメージ)
「ことわざにも言うではないか。『狼の子は野性の心を忘れない』と。この子はまさに狼、決して養ってはならぬぞ」
ここに「狼子は野心なり」と出てきました。要するに狼は子供のころからどんなに飼いならそうとしても、必ず何かの拍子に人間を襲う野性を秘め続けているということです。
つまり野心とは「隙あらば主人を害する野蛮な心」であり、例えば裏切り者などに対して「本性を現したな!」と言ったニュアンスが近いでしょう。
それで主人(あるいは上位者、敵対者)に刃向かい、とって代わろうとする上昇志向や反抗心を野心と呼ぶようになったのでした。