悲しみを癒す美女、朝倉義景から溺愛された側室・小少将(こしょうしょう)とは一体どんな女性なのか? (2/3ページ)

Japaaan

朝倉義景

優柔不断で滅亡? 戦国大名・朝倉家最後の当主「朝倉義景」の人物像【前編】

当時、義景には2人の正室と1人の側室がいました。1人目の正室は細川晴元の娘であり、女の子を出産しましたがその直後に亡くなってしまいます。2人目の正室は近衛家の娘でしたが、2人のあいだに子どもが生まれなかったため、やむを得ず離縁することに。

側室には、鞍谷刑部大輔嗣知(くらたにぎょうぶのたいふつぐとも)の娘を迎えます。待望の男児・阿君丸(くまぎみまる)が生まれましたが、母が出産後に死亡、阿君丸も幼くして亡くなってしまいます。

跡継ぎに恵まれず、また家臣の離反なども重なり、義景は意気消沈してしまいます。そんな彼を心配した老臣たちは、悲しみを癒し世継ぎをもうけるために美しい女性が必要だとして、て小少将を側室にすることをすすめます。こうして、小少将は義景の側室となりました。

男児を出産、義景からの寵愛を受ける

側室になった小少将は、1570年(元亀元年)に「朝倉愛王丸(あさくらあいおうまる)」を出産します。義景は彼女と息子を溺愛します。義景からの寵愛を受け、生涯を共にしました。

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