麻雀はどのように日本に受け入れられたのか?明治~昭和の麻雀の歴史をたどる (3/4ページ)

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さらに昭和4(1929)年には各団体の代表による会議で麻雀のルールの統一がはかられ、昭和6(1931)年には日本麻雀聯盟が主催する全国麻雀選手権大会が開かれました。

この大会の参加者は500名以上にのぼり、1日では決着がつか後日続きが開催されるほどの盛況ぶりでした。

しかし、一方で麻雀は賭博行為と結びつくようになり、昭和8(1933)年頃から厳しく取り締まられ、戦争の影響もあり衰退していきます。

現在の麻雀の完成

戦後には、再び麻雀が脚光を浴びました。リーチやドラなどの新しいルールも急速に広まり、昭和21(1946)年に浅草で雀荘の営業が許可されたのを皮切りに、次々と雀荘が開業。翌年には日本麻雀連盟も復活しました。

この頃もまだ、麻雀はルールが統一されていませんでしたが、昭和27(1952)年には天野大三が現在の麻雀の礎となるルールを定めて新聞に掲載。ようやく、麻雀は現在のようなルールのもとで打たれるようになります。

そして戦後の麻雀の大衆化と流行を決定的に後押ししたのが、昭和44(1969)年に週刊誌で連載が始まった阿佐田哲也(色川武大)の『麻雀放浪記』です。

麻雀の手役のひとつ・国士無双

『麻雀放浪記』は、乾いた淡々とした文体の中で、坊や哲やドサ健、飛び甚親子などのやくざで魅力的なキャラクターが雀卓を囲んで激しい戦いを繰り広げます。そのさまは、高度経済成長期で大きく変貌した日本で、ある種のノスタルジーももって受け入れられました。

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