源平合戦など興味なし!和歌に生きた藤原定家かく語りき【鎌倉殿の13人 外伝】

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源平合戦など興味なし!和歌に生きた藤原定家かく語りき【鎌倉殿の13人 外伝】

平成7年(1995年)より毎年、日本漢字能力検定協会が発表している「今年の漢字」。令和4年(2022年)の漢字は「戦」でした。

外国での恐ろしい戦争、生活における苦しい戦い、スポーツ分野における熱戦・挑戦……そんな理由から選ばれた「戦」とは、よくも悪くも人の心を揺り動かします。

しかし、そんな世の流れを尻目にマイペースを貫く者はいつの時代も変わらずいるもの。今回は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・藤原定家(ふじわらの さだいえ/ていか)を紹介。

藤原定家。和歌の才能はともかく、人格には少々難があった?

彼が書いた日記『明月記(めいげつき)』をひもといてみましょう。

「紅旗征戎、わが事に非ず」

世上亂逆追討雖満耳不注之、紅旗征戎非吾事、陳勝呉廣起於大澤、稱公子扶蘇項燕而巳、稱最勝親王之命侚郡縣云々、或任国司之由、説々不可憑、右近少将維盛朝臣爲追討使可下向当国之由有其聞、

※『明月記』治承4年(1180年)9月条

※日付はなく、当月はこの記事のみ。

【意訳】世は謀叛人討伐の話題で持ち切りだが、戦争なんて私には関係ない。かつて中国大陸で陳勝と呉広が兵を挙げ、王を自称したように、以仁王も最勝王と名乗って各地の武士たちを国司に任じたという。とんでもない話である。それでこのたび、平維盛が追討使として現地へ派遣されるそうな……。

治承4年(1180年)と言えば、永年にわたる平家政権を打倒するべく以仁王(もちひとおう)が5月に挙兵。その令旨を受けた源頼朝(みなもとの よりとも)が8月、配流先の伊豆国で兵を挙げています。

さっそく相模国では頼朝の謀叛を討つべく、大庭景親(おおば かげちか)が軍勢を繰り出し、京都へも使者を発しました。

東国征伐に赴く平維盛(イメージ)

その使者が京都に到着し、頼朝追討のため平維盛(たいらの これもり。平清盛の孫)が軍勢を整えている……そんな中でこの日記です。

読み下すと「世上の乱逆追討、耳を満たしこれを注がざると雖(いえど)も、紅旗征戎(こうきせいじゅう)は吾が事にあらず……」。

世の中は東国征伐の噂があふれて、これ以上耳に注ぎ込むことができないほどと言いますから、よほど戦争の話題にうんざりしていたのでしょう。

ちなみに紅旗征戎とは、天子(天皇陛下)の命を受けた官軍であることを示す紅い旗(いわゆる「錦の御旗」)を掲げ、戎(ゑびす。外来は異民族≒野蛮人の意、ここでは野蛮な謀叛人を指す)を征伐すること。すなわち戦争を指します。

畏れ多くも一天万乗の聖上陛下に逆らい、謀叛を起こす朝敵を征伐する。これ以上ない大義名分を掲げた義挙であろうと、しょせんは荒事に過ぎません。

和歌という芸術に生きる自分には一切関係ないことだ……私的な日記とは言え、そう言い放ってしまう定家の姿からは、いっそすがすがしさも感じられます。

ちなみに陳勝(ちん しょう)と呉広(ご こう)は秦王朝末期の二世元年(紀元前209年)、よんどころない事情によって挙兵。人望がありながら非業の死を遂げた扶蘇(ふ そ。始皇帝の長男)と項燕(こう えん。滅ぼされた楚国の大将軍)を自称しました。

最勝王(国家の鎮護者)を自称した以仁王 御影(東京国立博物館所蔵)

残念ながら陳勝と呉広の挙兵は失敗に終わりましたが、これに倣ってか以仁王も最勝王(さいしょうおう)と自称。最勝王とは国家鎮護の経典「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」に由来します。

各地に散らばっていた源氏の残党に令旨を発し、あろうことか独断で国司に任じるなど越権行為に及びました。またいかに皇族とは言え、今上陛下や法皇猊下を奉戴する平家に対して武力を興す行為は赦されざる暴挙であり、結局は陳勝・呉広と同じ末路をたどるのでした。

終わりに

とまぁそんな具合に、世が大きく変わろうとしている転換点にあっても、一向に興味がなかった定家。

後に飢饉が起きた際も「餓死した民たちの死臭が邸内にまで漂ってきて困る。何とかしてほしい(意訳)」などと書いており、野蛮な武士たちや下賤な庶民に対する無関心は徹底していたようです。

しかし、自身も社会の一員である以上、国家の有事に臨んでできること・とるべき態度があるのではないでしょうか(そういう意識が根付いている時代でもなかったでしょうが)。

遠い他国の戦争なんて関係ない。大昔ならそうだったかも知れませんが、通信・交通が発達して各国が密接な関係を保っている昨今、いつまでもそうは言っていられません。

来年は平和な漢字が選ばれるように、私たち一人ひとりが力を合わせ、行動していきたいものですね。

※参考文献:

藤原定家『明月記 第一』国書刊行会、国立国会図書館デジタルコレクション

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