源平合戦など興味なし!和歌に生きた藤原定家かく語りき【鎌倉殿の13人 外伝】 (1/3ページ)

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源平合戦など興味なし!和歌に生きた藤原定家かく語りき【鎌倉殿の13人 外伝】

平成7年(1995年)より毎年、日本漢字能力検定協会が発表している「今年の漢字」。令和4年(2022年)の漢字は「戦」でした。

外国での恐ろしい戦争、生活における苦しい戦い、スポーツ分野における熱戦・挑戦……そんな理由から選ばれた「戦」とは、よくも悪くも人の心を揺り動かします。

しかし、そんな世の流れを尻目にマイペースを貫く者はいつの時代も変わらずいるもの。今回は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人・藤原定家(ふじわらの さだいえ/ていか)を紹介。

藤原定家。和歌の才能はともかく、人格には少々難があった?

彼が書いた日記『明月記(めいげつき)』をひもといてみましょう。

「紅旗征戎、わが事に非ず」

世上亂逆追討雖満耳不注之、紅旗征戎非吾事、陳勝呉廣起於大澤、稱公子扶蘇項燕而巳、稱最勝親王之命侚郡縣云々、或任国司之由、説々不可憑、右近少将維盛朝臣爲追討使可下向当国之由有其聞、

※『明月記』治承4年(1180年)9月条

※日付はなく、当月はこの記事のみ。

【意訳】世は謀叛人討伐の話題で持ち切りだが、戦争なんて私には関係ない。かつて中国大陸で陳勝と呉広が兵を挙げ、王を自称したように、以仁王も最勝王と名乗って各地の武士たちを国司に任じたという。とんでもない話である。それでこのたび、平維盛が追討使として現地へ派遣されるそうな……。

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