なぜ御徒町は「宝石の街」なのか?その成立過程と歴史的背景をさぐる (2/3ページ)

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さらに第二次世界大戦後、米軍の兵士たちが貴金属を売る青空マーケットの中心となったのが上野や御徒町でした。そしてジュエリーや貴金属の販売や修理を生業とする店が次々と立ち並び、宝石の街としての地位を確立します。

このように、御徒町は一朝一夕に現代のような形になったのではなく、それぞれの時代の変化を受けながら、少しずつ「宝石の街」として成り立っていったのです。

日本の宝石の歴史

ここで少し日本の装飾品の歴史について見てみましょう。

明治時代になるまで指輪やネックレスなど、ジュエリーというものは日本にはなかったのでしょうか?

実はそうではなくて、なんと縄文時代から指輪やネックレス、ブレスレットなどのジュエリーは日本にも存在していました。特に縄文時代から古墳時代の遺跡でよく出土しています。

現在でもパワーストーンとして注目される勾玉

しかし、その後の時代から幕末あたりまでは出土例や残存例が少ないこともあり、日本の宝飾品の歴史について注目されることはあまり多くありません。

その理由は日本人の衣服である着物にあると考えられています。着物は生地そのものに特別な染色や絵付けが施されてるものが多いため、着物自体が美しく、指輪などの装飾品を必要としなかったのです。

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