昭和の闇「隠退蔵物資事件」…終戦直後の物資不足と貧困は軍人や政治家のせいだった?
「終戦直後の貧困」はなぜ生じたのか
終戦直後の日本と言えば、とにかく物資が不足して闇市が乱立し、超インフレ状態になって庶民は食うや食わず……という状況をイメージしますね。
しかしそうした物資不足や貧困状態は、実は旧日本軍の軍人や政治家が物資を隠匿・横領したためで、それは国家規模で行われた近代の横領事件としては最大・最悪のものだと言われています。
当時、国会でも問題になった、この隠退蔵物資事件について解説します。
戦時中、軍は国民から貴金属や軍需物資を大量に接収していました。戦争のためと言って国民からあらゆる物を取り上げていたのです。
で、戦争が終わり、これらの物資を返却してもらえるのかと思いきや、そうはいきませんでした。
戦時中は軍事物資になっていたわけですから、戦勝国であるアメリカのGHQに引き渡されるはずだったのですが、なぜかGHQが占領する前にそれらの物資は処分されたことになっていたのです。
では、それらの物資はどこへ消えてしまったのでしょうか。なんと軍人によって隠匿され、闇市に流されてしまったのです。
国家予算レベルの物資が…インフレ状態の当時の日本では、闇市に流されても一般市民が買えるような値段ではありませんでした。こうして、戦時・戦後ともに国民は苦しい暮らしを強いられることになったのです。
この闇市に流された物資の売り上げはどこへ行ったかというと、まず物資を隠匿して横流しした軍人と、それを闇市で売るブローカーです。そして政治家の元にもそのお金が回っていたといいます。
この時横領された物資は、金額にすると1,000億円とも4,000億円にのぼるとも言われています。ちなみに、1,000億円という数字は、敗戦したその年の国家予算レベルの金額です。
しかしこの隠蔽を国民に隠し通すことはできませんでした。
しばらくして旧陸軍の倉庫で軍人が隠していた大量の物資が見つかり、多くの市民が詰め寄せたのです。なんと、当時の外務省にも隠匿された物資が存在していたといいます。
これらを受け、1947年7月に隠退蔵物資等に関する特別委員会が設置されます。隠退蔵物資を摘発する組織が立ち上がったのです。
特別委員会は「あの」組織の前身にしかし摘発はスムーズにはいきませんでした。軍人や政治家が関係した組織ぐるみの悪事であったため、摘発に積極的な捜査官は少なかったのです。
そのような状況の中、GHQの民政局のホイットニー局長やケーディス次長がこの問題に関心を示し、協力し始めました。彼らは法の下での平等を実現するという名目で、捜査官に奮起を促したのです。
当時GHQによって接収されていた明治生命保険相互会社本社本館
また同じ頃、国民も積極的に声を上げ、新聞などのメディアも摘発に向けて精力的に動くようになりました。
しかし残念ながら彼らの努力はわずかに及ばず、物資の摘発も、横領に関係した人物を罰することも叶いませんでした。
しかしこの事件で得られるものがなかったかというとそうではありません。
先述の「隠退蔵物資等に関する特別委員会」は現在の東京地検特捜部の前身でもあります。戦後の多くの国民が苦しんだこの隠退蔵物資事件により、内部の悪事にメスを入れる、社会に必要不可欠な組織と仕組みが出来上がったのです。
東京地検特捜部が設置されている東京地方検察庁九段庁舎 (Wikipediaより)
過去の事件とはいえ、私たちが「終戦直後の日本」と言われてイメージする、人々が餓死寸前まで追い込まれていたような社会状況が、ごく一部の人間によって作り出された可能性があると考えると歯がゆくなりますね。
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