沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】

Japaaan

沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】

Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。あまり知られていませんが、実は沖縄にも戦国時代のように群雄割拠のアツいバトルが繰り広げられた時代が存在していました。

しかしながらそれは戦国時代とは呼ばれずに「三山時代」と呼ばれ、本島の戦国時代の流れとは少し異なるものでした。

今回は沖縄の戦国時代とも呼べる「三山時代」、尚氏(しょうし)による琉球王国統一までの歴史についてご紹介します。

三山時代以前の沖縄

沖縄は本州と異なる独自の次代の流れを有しています。紀元前の旧石器時代から独自の狩猟採集文化を持つ長い貝塚時代を経て農耕社会が開かれ、やがて村落が形成されました。

12世紀頃の沖縄における村落の首長は、「按司(あじ)」と呼ばれていました。彼らが本州で言うところの戦国大名のような存在にやがて成長してゆくのでした。

そして本州が戦国時代に向かっていくように、やがて按司の中でも力を付けた者たちが強固な石積みの要塞「城(グスク)」を造り、戦乱の世に突入していきます。このような時代の事を沖縄では「城時代(グスクじだい)」と呼びます。

その中で大きな力を付けた按司を数回に分けて紹介します。

14世紀になると南北に伸びる沖縄本島の勢力は大まかに3分割され、北山(今帰仁城)、中山(浦添城)、南山(島尻大里城)に分かれます。「三山時代」の到来です。

琉球の三山区分 Wikipedia

尚氏の台頭

中国(明)への朝貢(進貢)貿易によって沖縄の三山は大いに栄えます。中国皇帝に朝貢を行う事で貿易の許可を得、中国の進んだ技術や珍しい宝物の恵みを受ける事ができたのです。

1406年に沖縄南部の佐敷按司だった尚巴志が中山王武寧を攻め滅ぼし、父・尚思紹を中山王位に即ける。これが第一尚氏の始まりでした。

北山侵攻に乗り出す

第一尚氏は1416年、尚思紹在位中に、次なる標的を北山王国に定め、難攻不落と謳われた今帰仁城を攻めました。今帰仁城は別名を北山城とも言い、三山時代には北山一帯を支配していました。

北山王国(後山北王国)の最後の国王・攀安知(はんあんち)は優秀で武芸に長け、攻めるのは非常に困難とされていました。そこで尚巴志は中山の按司に協力を求め、二千人を超す中山連合軍を結成。北山王国を攻めたのです。

【後編につづきます】

トップ画像:Wikipediaより首里城

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、琉球王国尚氏三山時代戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る