北条義時の隠し子?それとも…『吾妻鏡』には登場しない3人の息子たち【鎌倉殿の13人 外伝】 (4/6ページ)
【北条氏略系図】
……時方(北条四郎)―時家(北条四郎大夫)―時政(北条四郎大夫)―義時(江間小四郎)―政村(相模四郎)・時経(小四郎)
※『系図纂要』より
しかし、そうだとすると『吾妻鏡』に書かれていないのは不自然ではないでしょうか。
天晴。今日入夜。相州鍾愛若公〔九才。當腹〕於御所元服之儀。三浦左衛門尉義村爲加冠也。号四郎政村云々。
【意訳】晴れ。夜になって義時が特に可愛がっている若君(9歳、正室の子)が御所で元服された。烏帽子親は三浦義村(みうら よしむら)、名を北条四郎政村としたそうな。
※『吾妻鏡』建保元年(1213年)12月28日条
もしかしたら、時経は義時からあまり可愛がられておらず、ひっそりと元服したのかも知れません。時は北条一族の通字、経の字は誰からもらったのでしょうね。
北条尚村生没年不詳
母親:不明(有時とは別の側室か)
通称:七郎
時経のすぐ下の弟。こちらも情報は通称(七郎)のみ。六郎有時よりも後に元服したけど系図の序列は上。さらに五郎実泰よりも先に書かれていると言うことは、有時とは別の側室(※)が生んだ可能性が高そうです。