渡辺徹、松原千明、上島竜兵、三遊亭円楽…2022年逝去スターが遺した「夜空に輝く」魂の名言

1年で最も星がきらめきを放つ冬。大衆に愛され続けた星たちの言葉は今なお人々を魅了し、元気づける!
2022年は、多くの有名人がこの世を去った。各界のスターが遺した「心に残る言葉」を振り返りながら、故人を偲んでいこう。
■妻の榊原郁恵に見送られて
師走も間近い11月28日、1981年に『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)のラガー役でデビューした、俳優の渡辺徹さん(享年61)の訃報が流れた。
「役者バカですから、これまでも役によって太ったり……太ったり、太ったりしてました(笑)」
10月、出演する舞台の会見に登場し、過去の体型を“役作りのため”と言って、笑わせたばかりだった。
かつて、番組で共演したこともある芸能レポーターの城下尊之氏は、こう語る。
「40代の頃から、糖尿病を気遣っておられた。ただ、お酒よりコーラが好きで、居酒屋のカウンターにド~ンと2リットルのボトルを置いて、“これがやめられないんだよね”とガブガブ。陽気で口が軽くて、でも憎めない、皆に愛された人でしたね」
その渡辺さんが愛した妻が、87年に結婚した榊原郁恵(63)。渡辺さんは「初めて買ったレコードは榊原郁恵さん」と語るなど、もともと妻の熱烈ファンだった。12月5日、愛妻と愛息に見送られ、“太く短く”生きた役者人生を終えた。
■不倫が発覚したときの言葉
10月8日に移住先のハワイで他界したのが、女優の松原千明さん(享年64)。96年、当時の夫だった石田純一の不倫が発覚した際、印象に残る言葉を残した。
「報道陣の問いかけに“役者の女房ですから”と気丈に答えた。ただ、その言葉を放った後、カメラにぶつかりながら小走りで去っていった。やはり、嫌だったんでしょうね」(前同)
不倫といえば、8月23日に亡くなった古谷一行さん(享年78)も見事な名言を遺している。91年、2時間ドラマで共演したセクシーれ、“いや〜、彼女とやってしまったのは後悔しません”と言った後、“でも、こうして表沙汰になってしまったことは、後悔していますよ”。あの男らし女優との不倫を週刊誌にスッパ抜かれたが、芸能界屈指のモテ男、古谷さんが動じることなかった。
「レポーターたちに囲まい対応は、実にアッパレでした」(同)
■お笑い界も大物の訃報が
2022年は、お笑い界でも大物の訃報が相次いだ。
5月11日に急逝した、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)の死は、まさに“聞いてないよ!”。
「俺が死んだら熱湯をかけてくれよ」
事務所の後輩で、上島さんと親しかった有吉弘行は、ツイッターに故人のそんな言葉を挙げ、追悼した。
「“笑われても笑わせても、笑いは笑い”と言い、芸人魂は人一倍強かった。ただ、コロナ禍で大好きだった飲み歩きもままならず、師匠と慕った志村けんさんの死も相当、こたえていた。繊細で優しい方だったので、一人で悩みを抱えてしまったのかも」(お笑い関係者)
■笑点の人気落語家も
脳梗塞を発症し、8月に7か月ぶりとなる高座への復帰を果たした三遊亭円楽さん(享年72)は、尽きぬ落語への思いを語っている。
「車イス姿で現れ、“みっともなくてもいいから、死ぬまでやります”と語る顔からは、落語と“心中”する決意が見えた。そこから“ICUから3度目の帰還です。みんな歌丸が悪いんだ”と続けたのは、毒舌円楽の面目躍如でした(笑)」(スポーツ紙記者)
だが、再び入院を余儀なくされ、9月30日、帰らぬ人に。落語にこだわり、再び高座に上がる情熱は、最期まで衰えなかったという。
■仲本工事は交通事故で
一方、「人生って無理せず、自然でいいんですよ」と語るなど、自然体を信条としたのが、ザ・ドリフータズの仲本工事さん(享年81)。その仲本さんが交通事故により、突然、亡くなったのは10月19日のことだ。
西口プロレス所属のお笑い芸人、アントニオ小猪木氏は、仲本さんから「アントニオ君」と呼ばれ、ホームパーティに何度も招かれるほど、親しい間柄だった。小猪木氏は、仲本さんの飾らない素顔をこう語る。
「共演時にご挨拶する程度の関係だったのが、9年ほど前、アントニオ猪木さんの古希を祝うパーティで、“連絡先を教えてよ”と言われ、以後、かわいがっていただきました。仲本さんと奥さんの純歌さんが経営する飲食店で、毎年、開かれるクリスマスと誕生日会では、いつも司会をやらせてもらっていました」
仲本さんの仲間が集まった、この種のパーティでは、最後に『8時だョ! 全員集合』のエンディングテーマ『いい湯だな』を皆で歌うのが恒例だったという。
「“ババンババンバンバン♪”と楽しく歌いながら、いかりやさんのパートは仲本さんが“いかりやさんを思い出すからイヤなんだよ”と言って歌わず、いかりやさんのエピソードで皆を笑わせていた。仲本さんなりの照れ隠しでしょう。すごく穏やかな方で、いつもお店の奥でニコニコしながら、タバコを吸っていましたね」(前同)
小猪木氏は、一世を風靡したドリフのメンバーだった仲本さんの、意外な言葉が記憶に残っているという。
「営業で一緒になったとき、若手の何人かが“師匠、ご挨拶させてください”と伺ったら、“ごめん、僕、『師匠』じゃないから”とおっしゃって“師匠”と呼ばせなかったんです。音楽を愛した仲本さんの中には、“自分はミュージシャン”という自負があったのだと思います」(同)
■「裕次郎の兄です」に隠された秘めた思い
政界でも、一時代を築いた大物たちが鬼籍に入った。
2月1日、国会議員として、また東京都知事として暴れた石原慎太郎さん(享年89)が、この世を去った。
「一橋大学在学中に『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、華々しい文壇デビューを飾った。一方、政界でも68年、参院選に初当選すると、73年に反共を訴える『青嵐会』を結成し、保守政治家としても存在感を発揮しました」(全国紙政治部記者)
その石原さんが遺した名言の一つが、「俺が死んだら日本は退屈になるぞ」。
政治評論家の有馬晴海氏は、この言葉に石原節の真髄が見えると指摘する。
「石原さんは誰にも媚を売らず、怯まない人でした。いつも、自分の経験や勉強したことを踏まえ、その時点で思ったことを率直に口にしていた。俺は思ったことを言うし、やるよと。自分の言動をマスコミが騒ぎ立て、世間は驚く、そんな自負の集大成的な言葉ですね」
また、石原さんは演説などの際、「裕次郎の兄です」とよく口にしたが、国民的スターだった弟には兄として譲れぬ気持ちがあった。
「自分は弟の裕次郎さんより才能があって、いい男だと思っていたんです。自らの作品を映画化して弟を売り出したわけですから、“俺のおかげ”という気持ちもありましたね」(前同)
この弟と張り合ってしまう、人間くさい素顔があったからこそ、石原さんは政治家として成功したのだろう。
■元総理大臣・安倍晋三の信念
同じ保守の大物で、元総理大臣の安倍晋三さん(享年67)は、7月8日、参院選の応援演説中、凶弾に倒れ、帰らぬ人となった。
「祖父に岸信介、父に安倍晋太郎を持つ3世議員ですが、単なる“ボンボン”ではない。それが垣間見える言葉が、“父の遺志を継ぎ、父が成し得なかったことを何としてもやり遂げたい”です」(前出の政治部記者)
父・晋太郎氏は、自民党内で次期首相を確実視されながら、91年、病により死去している。その父の無念を引き継ぎ、2度も総理大臣の任を務めた。
「ただ、安倍さんにとっては憲法改正こそが政治テーマでした。それはお父さんではなく、岸信介さんが最もやりたかったこと。安倍さんが一度失敗した後、総理大臣にもう一度になろうとしたのは、憲法改正を実現するため。そのためにはまず経済を良くしようと、アベノミクスをやったわけです」(有馬氏)
■アントニオ猪木「俺の動きにはリズムがない」
その安倍さんを「惜しい人を亡くした」と悼んだのが、北朝鮮問題などをめぐり、つきあいが深かったアントニオ猪木さん(享年79)だ。猪木さんもまた、10月1日、難病の全身性アミロイドーシスにより、惜しまれながら天に召された。
没後の今も含め、本誌で長らく連載を持つ“闘魂”は、幾多の名言を遺した。
3月、アカデミー賞授賞式で、俳優のウィル・スミスが妻を侮辱されたとして、檀上でコメディアンに張り手を放つ事件が発生。この件を受け、猪木さんは「ビンタといえば、アントニオ猪木。なのに、なぜ俺に話を聞きに来ない(笑)」
「妻への愛情があるわけで、俺はいいビンタだと思います」と、本誌に独自の“ビンタ論”を語ってくれた。
●アントニオ小猪木が語る「表現の天才」
芸名通り、熱烈な猪木信者でもある前出の小猪木氏は、営業などで何度も猪木さんと仕事をし、その存在感に圧倒されたという。
「猪木さんはサプライズ好きですからね。“アントニオ猪木来たる!”と銘打たれたイベントで先に僕が出て、客席から不満の声が上がる中でモノマネをした後、本物の猪木さんが“元気ですか!”と登場、が鉄板。これをやると客席は興奮でドカーン! で、猪木さんもご満悦でした。あの誰にもマネできない存在感に毎回、感動していました」
小猪木氏は、猪木さんの動きをマネると、不思議とキレが良くなり、舞台で観客の目を惹きつけられることに気づいたという。
「一度、勇気を出して猪木さんご本人に聞いたら、“俺の動きは1、2のあとの3、4がなくて5、6に飛ぶ。リズムがないんだ”と。確かに猪木さんの試合を見ると、手四つにいくと見せかけて張り手を飛ばしたりして、ピタッと動きが止まる。そこで観客はくぎづけになる。猪木さんは、やっぱり“表現の天才”です」
夜空に輝く無数の星。2022年、そこに加わったスターたちの笑顔に思いを馳せ、新たな年へ迷わずに一足を踏み出して行きたい。
■2022年惜別有名人「魂の名言」
2月20日 西郷輝彦さん 歌手/享年75 60はまだガキですね――70代でApple社の製品を愛用。見た目だけでなく、新しいもの好きで、心も若かった。
3月3日 西村京太郎さん 作家/享年91 日本中の路線はほとんど乗っている――十津川警部らを生んだ旅行ミステリーの先駆者。自身も鉄道旅を愛した。
3月14日 宝田明さん 俳優/享年87 子どもは知らないと「はーい」って手を挙げる。あれが一番美しい人生――年齢を重ねても好奇心を持ち続けた。
5月3日 渡辺裕之さん 俳優/享年66「ありがとう・ごめんなさい・愛しているよ」を素直に言うこと――夫婦円満の秘訣について。愛妻は原日出子。
11月11日 村田兆治さん 解説者/享年72 人生先発完投――右肘のケガを乗り越え、積み上げた215勝。サインの際は、いつも一緒に、この言葉を記した。