「電報」を使ったことはある?今も特別感がある通信手段の歴史をさぐる

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「電報」を使ったことはある?今も特別感がある通信手段の歴史をさぐる

「モールス信号」から電報へ

戦前の時代を扱ったドラマや映画でよく登場する「電報」。皆さんも聞いたことはあると思います。

電報とは、電気通信の仕組みを活用した文書配送サービスのことです。通信内容を電気通信で伝送し、それを紙などに印刷して配送します。

電報システムの略図(Wikipediaより)

実はこの「電報」は、電話などよりもずっと古く、長い歴史があります。

電報が誕生したきっかけとなったのは、1837年にアメリカの発明家サミュエル・モールスによって発明されたモールス信号です。1844年に、モールス信号の技術を用いて文章を送ることに成功したことにより、世界で初めて電報の仕組みが実用化されました。

電報サービスが日本に登場したのは明治2(1869)年のことで、導入当初は東京~横浜間だけで利用できました。

当時はまだ電話も郵便も鉄道も本格的に始まっておらず、電報は最先端の通信手段として重宝され、特に官公庁や基幹産業で利用されていました。

当初は、文字が刻印された円盤状の取っ手を回して文字を送信するブレゲ指字電信機という機械が使われていましたが、より通信速度の早いモールス符号を紙に印字させるタイプのモールス印字電信機が採用されます。

これにより、格段に利便性が向上し日本国内で広く普及していきました。

通信網の整備、そして関東大震災

そした、1875年(明治8)年には北海道から鹿児島まで電信線が整備され、全国各地の多くの市民にとって利用しやすい連絡手段として普及していきました。

その後、1922年(大正11)年にはそれまで手書きで対応していた電報にタイプライターが使用されるようになりました。タイプライターで打った電報は紙に直接印字されるため、書き損じなどの間違いも減り電信技術が効率化され、さらに利便性が高まったのです。

昭和初期のタイプライター

電報の歴史を語るうえで欠かせないのが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の無料被災電報の受付実施です。震災5日後には受付を開始し、遠方の家族・親族に対して無事を伝えることができる手段として、多くの被災者が電報を利用しました。

1930(昭和5)年には写真電報の取り扱いが始まり、その後年賀電報や慶弔電報といったサービスが開始され、電報は身近な情報伝達手段になっていきます。

当時は緊急時に電報で連絡するが一般的でしたが、文字数によって金額が決められていたため、料金を低く抑えるために必要最低限の文字数で伝える独特の文体が形成されました。有名なものでは、「チチキトクスクカエレ」などがあります。

「電報」の現代の位置づけ

日本で最も電報が利用された時期は1963年(昭和38)年で、年間9,400万通以上の電報が送られています。この頃は、まだ電報が一般的な連絡手段として使われていました。

1950年代の電報配達人(Wikipediaより)

そんな電報の地位が崩れたきっかけが電話サービスの普及です。これにより、緊急連絡手段としての電報の必要性は薄れていきました。

そして、現代では電話だけでなくメールやSNSでより早く連絡が取れるようになったため、緊急連絡手段として電報を使うことはほとんどないでしょう。

しかし、現代でも電報サービス自体は残っており、使用される代表的なものが冠婚葬祭などの慶弔電報です。

そこには、特別なときに大切な思いを形にして受け手に届けるという、昔ながらの電報のイメージが根強く残っていると言えるでしょう。

少し上の年代の人にとっては、「電報が届く」ことにまつわる緊張感とでも呼ぶべきものがあると思います。その緊張感の正体は、こうした歴史にあったのです。

参考資料
祝電・弔電なら電報屋のエクスメール
NTT西日本

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