京都大学の歴史をたどる…名門大学はどのようにできていったのか【後編】 (2/3ページ)
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京都大学
滝川事件
さらに、昭和8(1933)年には鳩山一郎文部大臣が法学部の滝川幸辰教授の著書『刑法読本』がマルクス主義的であるとして、滝川教授の辞職を京大総長に要求・強行します。
法学部の教官たちは、政府による学問研究への介入があっては真理の探究という大学の使命が果たせないとして、これに抗議して総辞職を表明。専任教官33名のうち、滝川を含む21名が京都大学を去る事態となりました(滝川事件)。
その後、日中戦争が激化するなかでの戦時体制の強化のため、国策に沿った講座が設けられました。さらに太平洋戦争の開戦後には、学生を軍隊風に編成する目的で京都帝国大学報国隊が結成されます。
学徒出陣~現代へ昭和18(1943)年10月には、それまで認められていた高等教育機関在学者の徴集猶予が停止され、文科系を中心とした2千名近くの学生が陸海軍に入隊することに。
11月20日には農学部グラウンドで出陣学徒壮行式が行われ、学生が続々と戦場に赴きました。学徒出陣壮行会では、総長の羽田亨を先頭に平安神宮に参拝、必勝を祈願したといいます。
その後、敗戦までの間にも学生の入隊は続き、京都大学からは戦争の期間中4,700名を超える学生が入隊し、264名が学生の身分のまま戦死しています。