織田信長をはじめ多くの人に尊敬された日本医学の父・曲直瀬道三とは? (2/3ページ)

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今では当たり前の方法ですが、当時の日本では新しいやり方でした。道三が日本医学の祖と呼ばれる理由は、この理論を実践して全国に広めたことにあります。

足利学校から察病弁知へ

曲直瀬道三は、どのような経歴の持ち主だったのでしょうか。

臨済宗の僧だった彼は、まず足利学校で学問の研鑽を積んでいました。そして出会ったのが、明に留学して医学を日本に伝えた第一人者でもある田代三喜という人物でした。

『医家先哲肖像集』田代三喜像(Wikipediaより)

彼に感銘を受けた道三は前述の通り、察病弁知を初めとする診察を取り入れるようになったのです。

そして道三は、医師を育てる機関である啓迪院(けいてきいん)を設立しました。現代の医科大学のようなもので、そこでは医学書に基づいた理論的な授業が行われました。

そこで医学を修めた医者は、日本各地に戻りそれぞれの地元で勉強の成果を実践していくことになります。

当時は日本中で戦が行われていたため、多くの地域で医者が必要とされていました。道三の提唱した治療方法が広まり、定着するまで長い時間はかかりませんでした。

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