大河ドラマ「どうする家康」の予習に!瀬名の母・巴(真矢ミキ)のモデル・関口夫人がたどった生涯 (2/3ページ)

Japaaan

義元の妾から養妹へ(イメージ)

遠江の国人・井伊氏が人質として送ったところ気に入られて妾となり、後に義元の養妹として関口氏純へ下げ渡されました。

天文8年(1539年)~同9年(1540年)ごろに瀬名(築山殿)を生み、弘治2年(1556年)1月15日に元服した松平次郎三郎元信に嫁がせます。元信は15歳、瀬名は17~18歳ですから姉さん女房(2~3歳年上)ですね。

やがて永禄2年(1559年)に嫡男・松平信康(演:寺嶋眞秀⇒細田佳央太)が誕生。しかし永禄5年(1562年)、元康が今川を裏切ったため、夫の氏純が今川氏真(演:溝端淳平)に離反を疑われて切腹を命じられました。

関口夫人も夫と共に自害、その生涯に幕を下ろした……と『松平記』にはあるものの、その後も氏真が「関口伊豆守(氏純、義広)」に関する文書を発給しているため、氏純は永禄9年(1566年)ごろまで生きていたと考えられます。

義廣
刑部少輔 伊豆守 今の呈譜氏廣につくる。関口を号す。

(義廣の)女子
東照宮の御臺所、築山殿と称す。岡崎三郎信康君の母堂たり。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九十五 清和源氏(義家流)瀬名

夫に殉じていない(そして病死などしていない)のであれば、関口夫人も生きていたと考えられるため、その後長命を保っていて欲しいですね。

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