キリストの再臨を未来ではなく現在起きつつあると説いた内村鑑三 (2/3ページ)

心に残る家族葬



その後、内村はプロテスタント系伝道師の中田重治(1870〜1939)、木村清松(1874〜1958)らと共に再臨思想を広めようと再臨運動を展開した。講演を行えば大盛況で多くの観衆を集めた。しかし、民衆の求める再臨とはズレが生じた。民衆は再臨に現実逃避の夢を見た。しかし内村の真意はそうではなかった。内村は生前の現世と死後の来世を分けて考えない。キリスト教は厳格な二元論であり、現世と来世は明確に分離される。内村は来世の存在を分離・認識した上で、現世を生きることを説いた。再臨=死後の復活を確信すること内村は死の悲痛を根本から癒やされたと語っている。再臨思想は来世に逃げることではなかった。

■内村の反近代主義

再臨は聖書で預言されている奇跡として信仰されているが、内村らの再臨運動はキリスト教諸派からは批判を受けた。キリスト再臨はあまりにドラマチックなもので近代的合理主義、科学的世界観とは相容れなかったのである。結局様々な軋轢や民衆の意識との乖離などの理由から再臨運動は終了した。近代キリスト教自体はその神話性から存在自体が危ぶまれ、時代に合わせた近代的解釈に迫られた。プロテスタント系神学者のルドルフ・ブルトマン(1884~1976)はその代表だろう。彼は聖書の奇跡などの記述を「非神話化」して現代的哲学的に解釈した。当然ながらブルトマンらにとって再臨などの奇跡はあくまで哲学的な比喩に過ぎない。そのような近代人の合理主義に内村は自己中心的だと反抗する。そもそもそれでは救われないではないか。愛する娘の死に対して哲学的概念は無力だった。しかし本来のキリスト教は、死を徹底的に拒否する宗教である。イエス・キリストは死を滅ぼした存在であり、キリスト教において「死」は存在せず、死者はやがて復活する。内村は再臨によって「死そのものの廃止」を語ったのである。

■宗教は科学を超える

内村の再臨思想は現実逃避、現実否定とは異なるものであるとはいえ、キリストの再臨を神話ではなくまさに進行しつつあるという主張は、終末論を説くカルト宗教と遠くなさそうに見える。しかし、やはり宗教たるものは神の存在を認め、霊魂不滅を信じ、死後の世界を説くものでなくてはいけない。
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