今見る大阪城は徳川時代の再建だった!秀吉時代の大坂城を徹底破壊して築城した近世要塞の見どころ【どうする家康】 (6/8ページ)
秀頼・淀殿自刃の地と伝わる山里丸
本丸北端部の一段低くなった場所にあり、秀吉の命により千利休が造営した茶室を含む風雅な曲輪だったといいます。大阪城落城の翌日、この曲輪に追い詰められた秀頼・淀君、およびその近臣達がこの曲輪に建つ櫓で自刃したとされますが確かなことは不明です。自刃の地として有力な朱三櫓のあった場所に「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地」の石碑が立ち、献花が絶えません。
真田幸村が関係?空堀のなかにある抜け穴
空堀と水堀の境目に不思議な石組。高さ1.5m、幅2m程度の石組みが空堀の外側と内側をつないでいます。内部は大人が背をかがめてやっと通れるくらいの空洞になっており、何のために造られたかは不明です。真田幸村が掘った抜け穴と言う説もあります。