槍で支えた忠義心!「槍半蔵」の異名を持つ忠臣・渡辺守綱の活躍を紹介【どうする家康】 (3/4ページ)
長篠の戦いでは山本勘助の嫡男・山本菅助を討ち取った/Wikipediaより
その後の守綱は、汚名を返上すべく姉川の戦いでは旗本一番槍として活躍。足軽大将として、三方ヶ原の戦いや長篠の戦い、小牧・長久手の戦いで先鋒を務めるといった槍半蔵の名にふさわしい功績と活躍を残しました。
尾張徳川家の槍として
家康が関東移封になる天正18年(1590)には、武蔵国比企郡(現在の埼玉県)に3,000石を与えられます。続く慶長5年(1600)には1,000石の加増と足軽100人の組頭に任命されました。
慶長13年(1608)には、尾張徳川家の祖で家康の9男にあたる徳川義直の付家老に抜擢。以後、大坂夏の陣と冬の陣に出陣した義直の初陣の後見や、尾張国に入国した際の補佐を務めました。そして、元和6年(1620)に79歳で名古屋にて死去しました。