後に家康のもとを去る!?松重豊が好演『どうする家康』で注目される武将・石川数正ってどんな人? (2/2ページ)

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そして、その後の姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いでは、先鋒を務めました。

徳川家から、豊臣秀吉のところへ出奔

優れた才能から、徳川家康の信頼も非常に厚かったとされる石川数正。しかし、天正12年(1584年)に起きた小牧長久手の戦いでは、秀吉からの和議を受け入れるべきだと主張する数正と、それに反対した家康との不和があったと伝わっています。

そして、天正13年(1585年)には、突然徳川家を出奔し、豊臣秀吉のもとへ。正確な理由はわかっていませんが、「豊臣家との和睦派として徳川家の中で孤立を余儀なくされた」「秀吉から帰順を説得された」などの説があります。

松本城の築城や城下町の整備に務める

その後は、豊臣秀吉の家臣として生涯を送った石川数正。松本城を築城し、城下町の整備にあたるなど、政治運営でその手腕を発揮しました。文禄2年(1593年)に亡くなっています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

トップ画像(左):大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより

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