「鬼」と呼ばれた県令・三島通庸(みしま・みちつね)と自由民権運動の戦い (2/4ページ)
三島の手になる山形県旧県庁庁舎を利活用した施設「山形県郷土館(文翔館)」
さらに三島は栗小山隧道という山形と福島を繋ぐトンネルを作ります。最新の削岩機を用いて開通したそのトンネルは、当時の日本最長を誇る長さでした。
栗小山隧道は、明治14年の明治天皇東北巡幸に合わせて開通式が行われました。絵画を飾ったり、花火を打ち上げたり、華々しく執り行われた式典は、天皇にも大変喜ばれたといいます。
このように山形の街の発展に大きく尽力した敏腕政治家ですが、なぜのちの着任先では鬼県令と呼ばれてしまうのでしょうか。
増税と自由民権運動明治15年、三島は福島県令に転任が決まります。
当時国内では、政治の中心が旧薩摩藩士や旧長州藩士で占められていることに不満を持つ人が少なくありませんでした。
そんな折に国会開設の話を聞いた板垣退助が自由党を結成し、自由民権運動が活発になっていきます。そして三島が転任した福島県議会は、この自由党員が多数を占めていました。