勝者は家康か秀吉か?小牧・長久手の戦いの歴史上の位置づけを考察する【前編】 (3/3ページ)

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とはいえ、秀吉も完全な負け戦だったわけではありません。長久手の戦いとは別に、松ヶ島城加賀野井城竹鼻城など、徳川方の拠点である城を攻めています。

これに対しては、家康も四国の長曾我部元親や、紀伊国の雑賀衆根来寺など、以前から秀吉と対立関係にあった勢力と手を結んで、秀吉の背後に迫ったのでした。

【後編】では、この小牧・長久手の戦いが膠着状態に陥ってから、決着がつくまでの流れを追っていきます。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

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