『どうする家康』「家康と信玄が会うことはできるか?」時代考証の影にあったのは?歴史学者・平山優インタビュー

日刊大衆

平山優(撮影・弦巻勝)
平山優(撮影・弦巻勝)

 現在放送中のNHK大河ドラマどうする家康』で時代考証を担当していますが、個人的には、実は徳川家康はそれほど好きな人物ではありませんでした(笑)。

 一番好きなのは、ずっと武田勝頼。両親が甲州の出身で、家の菩提寺が武田氏滅亡の地である景徳院だったんです。親に連れられてお墓参りに行くたびに、武田勝頼のお墓を見な
がら、子ども心に「勝頼の最期ってかわいそうだな」と思ったのが、歴史に興味を持った原点なんです。そこからのめり込み、中世史……戦国時代を中心に研究を続けてきました。

 最初に言ったように、これまで家康という存在にはあまり興味が持てなかったのですが、時代考証のお話をいただいたとき、「これは、もっと家康のことを勉強しろという天の配剤だ」と、改めて史料を読んでみたら、これが実に面白いんですね。

 僕は、ささいなことが気になるタイプで、徹底的に調べないと気がすまないんです。昨年出版した『徳川家康と武田信玄』という本でも「今川攻めのときに信玄の家臣、秋山虎繁が遠江に入ったというけど、それは何月何日? どこを通って?」なんてことが気になってしかたがない。

 結果、可能な限り調べることで、時期とルートを特定することができました。私としては大満足なんですが、他の研究者からは「そんなことをするのは平山さんだけだよ」と言われてしまいました(笑)。

 しかし、歴史というのは細部を分析することによって初めて、リアリティが出てくると考えているんです。ですから、軍勢がどこをどういうふうに通ったのかは、非常に大切なことなんです。

 歴史研究の楽しさは、史料から事実を探り当てることに尽きますね。それでいて、何百年も前の史料が毎年新たに見つかるから、驚きです。

■すべてを史実通りにすればいいわけではありません

 実は、新たな発見には大河ドラマが一役買っていることも多いんです。有名なのは、昭和44年に『天と地と』が放送されたときの話。ドラマの中で信玄の花押が映り、それを見ていた人が「あれと同じのが書いてある文書がうちにある」と鑑定してもらったところ、まさしく信玄の手紙! しかも文中に、それまで実在が疑問視されていた『山本菅助(勘助)』の名があり、存在していた証のひとつとなりました。

 今回時代考証をさせていただいている『どうする家康』でも、そんなことが起こるかもしれませんね。

 ドラマの時代考証という仕事は、ふだんの研究と違う点もあります。それが、できるだけ脚本家が書きたいものを実現できるように、史実を提供するということ。

『どうする家康』でいうと、まず、制作陣と脚本の古沢良太さん、時代考証を担当する僕と小和田哲男さん、柴裕之さんとで、設定についての会議をします。具体的には「こういう話にしたいが、ありうるだろうか?」というお尋ねに我々が答えるという感じです。

 前半部でもっとも時間を割いたのは「家康と信玄が会うことはできるか?」ということ。史実にはないのですが、さまざまな事柄を考え合わせて「この時期にこの場所だったら可能性はある」と提案しました。

 第1稿ができたらそれを読ませてもらって、「これはおかしい」「不自然だ」という点をお伝えして、それを元に再度練り直した脚本を、また検証。そうやって最終稿までたどり着きます。とはいえ、すべてを史実通りにすればいいわけではありません。大河ドラマは、史実を元にしたフィクションですから。先ほども言ったように、できるだけ脚本家が書きたいものを実現できるようにする、これが大事なんです。

 今年は僕もユーチューブを始めて、「確かに史実とはちょっと違うけど、制作の意図とドラマ作りの中でこういう設定にしたんだよ」みたいなことを発信していけたらと思っています。そうすることで、皆さんがもっともっと歴史を、大河ドラマを楽しんでいただけるとうれしいですね。

平山優(ひらやま ゆう)
1964年1月10日生まれ。東京都出身。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。数多くの著書を出版しつつ、NHK大河ドラマ『真田丸』『どうする家康』の時代考証を担当。家康と信玄の新たな関係をひもとく『徳川家康と武田信玄』(KADOKAWA)が発売中。

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