病床に伏し常に死と隣合わせだった正岡子規と僧侶・清沢満之 (3/3ページ)

心に残る家族葬



しかし、某氏は苦しむだけ苦しめと書いた後に「そんな君だから如来は救ってくれる」とは書いていない。子規に特定の信仰心など無く、そもそも、第二、第三の道にまで追い込まれた者に、そんなことを言っても絵空事にしか聞こえない。ただ「宗教的救済」の一節のみを挿し込んだ。あとは如来にお任せというところかもしれない。子規の死の一年後、清沢も同じ肺結核でこの世を去った。清沢もまた死の苦痛に煩悶していたが、最後には絶筆「我信念」で如来を信ずるに至ったと書いている。こうした清沢の境地については稿を改めて考察したい。

■宗教の役割

現代では緩和ケアの技術も発達しており、QOLが重視されている。それでも、なぜこれほど苦しまなくてはいけないのかなどのスピリチュアルペインを克服するのは困難である。安楽死・尊厳死についてもまだ議論は突き詰められてはいない。宗教にマイナスなイメージが報じられる昨今だが、死と向き合う人のために、清沢満之(と思われる人物)が提示した「宗教的救済」について改めて考えてみる必要がある。

■参考資料

■正岡子規「病床六尺」岩波文庫(1984)
■今村仁司編訳「現代語訳 清沢満之語録」岩波現代文庫(2009)
■唯円 著/千葉乗隆 訳注「新版 歎異抄」角川ソフィア文庫(2013)
■神戸和麿「清沢満之の生と死」法藏館(2000)
■山本伸裕「清沢満之と日本近現代思想ー自力の呪縛から他力思想へ」明石書店(2014)

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