追悼・松本零士、後輩漫画家が語る「銀河鉄道999」「汚れたパンツ」秘話

日刊大衆

写真はイメージです
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 子どもたちに見果てぬ夢を与え続けた漫画家の松本零士さんが、2月13日、急性心不全により85歳で“星の海”へと旅立った。

「1938年、職業軍人だった父のもと、福岡県久留米市に生まれた松本さんは、小倉市に移り住んだ小学生の頃から『新宝島』などの手塚治虫作品に魅了され、漫画にのめり込んだ。友人と九州漫画研究会を結成し、高校1年時に『蜜蜂の冒険』で早くも商業誌デビュー。原稿料で、自分の学費を賄っていたそうです」(ベテラン漫画編集者)

 高校卒業後の57年に、上京。「松本あきら」名義で少女漫画家としてスタートを切るが、ヒット作に恵まれず、雌伏の時を過ごす。

■手塚治虫邸で出会った牧美也子と結婚

 一方で、私淑する手塚治虫邸で出会った売れっ子少女漫画家の牧美也子氏と、62年に結婚している。

 転機となったのが、71年から『週刊少年マガジン』で始まった自伝的漫画『男おいどん』のヒットだった。

「ボロボロの四畳半で暮らす貧乏浪人生・大山昇太の日常を描いた同作は、松本さんが小倉から上京後に暮らした、ボロ下宿での実体験がベースです。しつこいインキンタムシが、ある薬でウソのように治った話などを笑いとペーソスを交えて描き、初のヒット作となりました」(前同)

 同作では、押し入れに詰め込まれた汚れたパンツに、「サルマタケ」というキノコが生え、大山が調理して食べるシーンが出てくる。

「これも実話で、下宿仲間だった漫画家のちばてつやさんに、“サルマタケ入りラーメン”をふるまったこともあったとか。ただ、ちばさんは、それが“サルマタケ”だとは知らないまま、食べたそうです(笑)」(同)

■井出智香恵が語る夫婦秘話

 66年に少女漫画誌『りぼん』でデビューし、『羅刹の家』などのヒット作で知られる漫画家の井出智香恵氏は、こう語る。

「憧れていた奥様の牧美也子先生にかわいがっていただいたご縁で、松本先生とも何度もパーティや酒席をご一緒させていただきました。松本先生は九州男児とは思えない、穏やかで優しい方。牧先生が3つ年上の姉さん女房でしたから、お姉さんと弟のような仲の良さが印象に残っています」

『男おいどん』が人気を博していた時期、井出氏は松本さんから意外な言葉を聞いたという。

「サルマタケがウケていましたが、“女性は、ああいう汚い男のパンツなんて嫌じゃない?”と聞かれたんです。松本先生は紳士的な方でしたから、男くさい世界を女性読者がどう感じるか、気になったんでしょうね」

■宇宙戦艦ヤマトや宇宙海賊キャプテンハーロックが大ヒット

 70年代半ば以降、松本さんは宇宙を舞台にしたSFファンタジーの世界を描き、さらに多くのファンを獲得していく。

「制作に関わったアニメ『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの大ヒットにより、連載漫画の『宇宙海賊キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』もアニメ化され、松本零士ブームがピークに達しました。人間の強さや弱さ、社会の不条理などが物語に織り込まれており、大人からも熱い支持を得ました」(前出の漫画編集者)

 SL列車が宇宙空間を走る『銀河鉄道999』は、小倉時代に見た原風景が投影されていたという。

「自宅の長屋脇に鹿児島本線が通っていたそうです。そこを蒸気機関車が夜の関門海峡へと駆け抜ける光景が、“星の海に飛び込むようだった”と、松本さん本人が語っています」(前同)

 前出の井出氏は、それとは異なる『999』誕生秘話を聞いたことがあった。

「ある日、娘さんとお風呂に入っているとき、“お空を飛ぶ列車に乗りたい”と言われ、『999』の着想が生まれたとおっしゃっていました。きっと、いくつかの要素が重なり、あの壮大な物語が生まれたんでしょう。松本先生は、漫画家の枠に収まりきらない、創作者としての才能にあふれていました」

 創作の宇宙を走り抜けた偉大なる巨匠に、合掌。

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