日本史上稀な「甲相駿三国同盟」はなぜ結ばれた?三人の名将たちのそれぞれの思惑とは (2/3ページ)
さらに武田信玄にとっては、信濃へ本格的に侵攻するためには、自分の背後に控えている北条氏と同盟を結んでおく必要があったのです。
北条は、今川とは最初から密接な関係でした。北条早雲の姉妹である北川殿は今川義忠(義元の祖父)に嫁いでいますし、その子である今川氏親の娘(瑞渓院殿)は北条氏康に嫁いで氏政を産んでいます。
ただその後、両氏は国境に関するゴタゴタが原因で、一時的ではありますが関係が悪化していました。
政略結婚はフォークダンスのようにとはいえ、今川家は、尾張の織田家とも争っていたため、北条と本格的に対立すると東西を敵に挟まれることになってしまいます。そこで北条との関係修復を模索した結果、改めて武田・北条・今川による政略結婚が行われることになったのです。
まず、1552年から1554年にかけて、今川義元の娘である嶺松院殿が、武田信玄の子である武田義信に嫁ぎました。その次に、北条氏康の娘である早川殿が、今川義元の子である今川氏真へ。さらに信玄の娘である黄梅院殿が、北条氏康の子である氏政に嫁ぎました。
男性と女性がぐるぐる回っており、まるでフォークダンスです。