デヴィ夫人83歳インタビュー!出川哲朗とイッテQ、ウクライナ電撃訪問…「私のエネルギーの源は“怒り”です」

日刊大衆

デヴィ夫人
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 インドネシアの元大統領夫人、社交界の華として、世界を渡り歩き、「東洋の真珠」ともうたわれたデヴィ夫人

 近年では、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)など、バラエティ番組で芸人以上に体を張り、若年層にも愛されている。

 一方で、ロシアによる軍事侵攻を受けるウクライナを電撃訪問し、世間を驚かせた。2月6日で83歳を迎えたデヴィ夫人のバイタリティの秘密に迫った。

■日テレ『世界の果てまでイッテQ!』ではスカイダイビングなど体当たり企画!出川ガールズも

『イッテQ!』は視聴者の年齢層が幅広いですからね。最近は、テレビを通して私のことを知った人が多いように思います。私がテレビに出演するのは、露出を高め、2か月に1回ほど行っている、チャリティイベントの集客につなげるという側面もあるんです。テレビに出演するのは、便利だし楽。ただの“テレビのおばさん”ではないということを、強く書いておいてください(笑)。

――デヴィ夫人は、「楽だから」と簡単に言うが、実際に番組でやっているのは高所恐怖症にもかかわらず、スカイダイビングや滝つぼに飛び込むなど、体当たり企画ばかり。よく引き受けますねと水を向けると、「だって全部こなせてしまうので」と笑って答えた。

 ただ、最初に“イルカに乗ってサーフィンしてほしい”と言われたときは、無茶なことを言うなと感じました。出川(哲朗)さんと2人で練習しても、ウェットスーツを脱ぎ着するだけで疲れてしまって、もうバテバテ。と思ったらワタクシ、3日目にできちゃったのよ。このときの達成感といったら、もう最高。それからは、何でもやってやろうと思いました。だけど、ジェットコースターだけは絶対に無理! レーシングカーの助手席に座って300キロで走っても怖くないのですが、ジェットコースターだけはダメ。あんなのが好きな人は、インテリジェンスが低いんですよ(笑)。

――世代を超えて支持を集めるデヴィ夫人だが、特に10~20代の女性から熱い支持を得ている。『イッテQ!』で共演する女性タレント(出川ガールズ)との軽妙なやりとりが、若い視聴者に受けているのだろうか。

 やりとりなんか、できないですよ。若いのは素晴らしいことだと思いますけど、彼女たちから得るものは何もありません(笑)。共通点は、若い頃に女優を目指していたことくらい。ワタクシは、“ハリウッドで最初に活躍したアジア人”と言われる早川雪舟さんが主催した東芸プロの2期生で、演技やダンスを習っていました。映画の端役で出演した際に、楽屋でご一緒した浅丘ルリ子(当時16歳)さんとの写真は、今も手元に残っています。

■女優を目指した日々、スカルノ大統領との出会い

 そして、その1か月後にスカルノ大統領に出会いました。そういう意味では、今、こうして日本でテレビ出演しているのは、感慨深いものがありますね。

――そう話しながら浅丘との2ショット写真を見せてくれたデヴィ夫人。写真を見ながら、若かりし頃の記憶を振り返ってくれた。

 3年前に松屋銀座デパートで、傘寿記念として私の展覧会があったのですが、小学校の通信簿から描いた絵まで全部、茶箱に残しておいたので、担当者が大変驚いていましたね。敗戦して疎開先から戻った東京は、本当に何もありませんでした。ワタクシより背の高いペンペン草が生えていて、掘っ建て小屋が並んでいた。ちょうど今の西麻布のあたりです。“鬼畜米英”と多くの日本人が言っていた時代ですが、家の裏にアメリカ軍の駐屯所があった関係で、アメリカ兵の話す英語に憧れていました。成績が一番になるくらい、英語を勉強したんです。そして、満天の星空を見ながら、“いつか世界に飛び出して、歴史に名を残すような有名人になる”と、夢見ていました。

――まさに有言実行。幼少の頃の夢を実現した形だが、デヴィ夫人は笑顔で遮り、こう話す。

 とてもイメージ通りとは言えない波乱万丈の人生でしたよ(笑)。スカルノ大統領との出会いから始まり、こういう人生を歩んだのは私の運命。少女時代に英語を学んだことが、大統領との縁を引き寄せたんだと思います。だからこそ、チャレンジ精神を失ってしまうと、人はダメになってしまうと思うんです。どこかで諦めていたら、ワタクシは今、こうしていられなかったはずですから。

■プーチン大統領は許せない!

 そんなデヴィ夫人は、1月下旬にロシアの侵攻を受けるウクライナを訪問し、注目を集めた。その行動力の源は、いったい何だったのか。

――昨年2月にロシアが侵攻してから、腹が立って眠れなくなりました。動物愛護や、難民の問題、私がチャリティに精を出すのも、すべて怒りからきているんです。今回のプーチン大統領の蛮行で、ワタクシの怒りの針は振り切れました。

■“ヒートテックを送りたい”と大使館に連絡し…

――だが、一個人ができることには限界がある。デヴィ夫人ほどの人でも、最初は、どう行動すればいいか、見当つかなかったという。

 最初は何もできないと思っていました。しかし、ミサイルでインフラストラクチャー(生活の基盤となる施設)が破壊され、ウクライナの電力供給が50%に落ちてしまった。零下20度で凍死する人がいるかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなくなり、“ヒートテックを送りたい”と大使館に連絡したんです。驚いたことに、すでに日本中からヒートテックが送られていて、倉庫に保管されているとのこと。見に行くと、膨大な数の寄付品が保管されていましたよ。

――自身と同じように胸を痛めて行動している人が大勢いたことを知ったデヴィ夫人は、物資を用意するのではなく、自ら現地まで支援物資を届けに行こうと考えた。

 日本国民からの、ものすごい数の“善意”がありました。しかし、運搬するお金がない。それでワタクシが、その費用を持とうと考えたんです。1月16日と23日に40フィートのコンテナを2個ずつ送りました。それでも、コンテナは2月末にしか届かないそうなんです。この寒さでは間に合わないと思い、まずはワタクシが今すぐ持って行けるものをスーツケースに詰め込んで、5人のボランティアと持って行きました。

――入国には時間がかかり、訪問した地はもちろん、戦争の真っただ中。当然、危険を伴っていた。

 戦闘地に行ったわけではないですが、翌日にミサイルが落ちて11人が亡くなり、40人が負傷している危険な場所ではありました。私は1962年にキーウに行っていますが、当時、見たオペラ、バレエ、美しい建造物が忘れられません。日本でいう奈良や京都みたいな場所。そんな美しい街にある劇場を攻撃して、350人を生き埋めにした。さらに車で逃げようとした人も車ごと焼き殺したんです。これはもう、戦争犯罪以外の何物でもありません。

■世界の暗い歴史も経験

――華やかな社交界だけではなく、世界の暗い歴史も経験してきた。戦争、クーデター、亡命……。デヴィ夫人は、それらを目の当たりにし、何を思ったのだろうか。

 動物の社会は捕食者と被捕食者に分かれますが、人間の場合、強者が弱者を襲って略奪し、領土を広げる。それは地球上に人間が存在したときから、変わっていません。“人類の歴史=戦争”なんです。たびたび日本で憲法9条について論争されますが、憲法は時代に合ったものでないと意味がありませんから、改正は当然です。武器を作る人がいる、それを売る商人がいる、それを買う人がいて、使う人がいる。いわゆる世界平和はありえません。それよりも世界秩序。その世界秩序を破ったのが、プーチン大統領です。スカルノ大統領は「ガイデッド・デモクラシー」といって、指導された民主主義を提唱していました。どれだけ理想を述べても、全国民が平等に「票」で採決するのは無理です。

■若さ、元気の秘訣

――デヴィ夫人は新聞を隅々まで熟読し、気になるニュースを切り抜いてスクラップをするのが習慣になっているという。その判断基準は“愚かな犯罪”。国内で頻発している犯罪に対して、激しい怒りを抱いている。

 乳児を壁にぶつけて死なせるとか、子どもを置き去りにして餓死させる、教師の性犯罪に、あおり運転。おかしいことが多いですね。教育レベルが低下している一方で、道徳もどんどん落ちていると感じます。戦前戦後、日本は教育程度が世界一だったんです。17世紀に読み書き、そろばんを教える寺子屋があった国なんて、他にありません。太平洋戦争で負けたときも、自分の名前を書けないアメリカ兵も、けっこういたくらいです。それが今や、教育水準ランキングは、世界で14位(22年6月時点)。落ちぶれたものです。

――そうした凋落の原因を作ったのは、政治家と日本教育組合だと話す。

 教科書も昔は文部省が作っていたのに、最近は民間企業に作らせ、自虐的な歴史ばかり教えるため、日本人としての誇りが持てない。そして愛を知らない子が育ち、それが親になって冷酷な罪を犯す。両親の愛を燦さん々さんと受けた人は犯罪者にならないと思いますよ。

●1日10回〇〇することが大事

――最後に、生きづらいといわれる現代世界で、デヴィ夫人のように若さを保ち、元気でいられる秘訣を聞いてみた。すると、「いつもは講演料をいただいて、お話しているんですよ」と冗談を交じえつつ、あり余るパワーの源を教えてくれた。

 先ほどお話したように、私にとってエネルギーの源は、怒り。今の日本に対してもだし、ロシアを擁護する政治家たちに対しても、私の怒りが消えたことはありません。その怒りや不満を、どうしたら解消できるのか。なぜ、そんなことになったのか、興味を持つこと。若い頃は、自然と何事にも好奇心を持ったはずです。

 あとは“1日10回は感動しなさい”ということ。けっして難しいことではなく、美しい音楽や絵画に触れたり、犬がかわいい、花がきれい、そんなことで十分です。感動がないと、生きたまま化石になってしまいます。そうならないように、いろんなことにチャレンジしてください。

 デヴィ夫人のエネルギーが尽きることはない。

■デヴィ夫人の「怖いものなんてない!」体当たり企画6連発

ロープ1本で100メートルの崖下り メキシコのタムール滝で落差100メートルの滝をロープ1本で降下。高所恐怖症にもかかわらず、15分で成功させ、共演した出川哲朗も「スゲェな」と感心。

不屈の精神で挑んだスカイダイビング! 4000メートル上空からダイブ。恐怖心と闘うも、「挑む気持ちをなくすのが怖い」と自分を奮い立たせ、青空にプロダイバーたちと「夫人」の文字を咲かせた。

苦手を克服したい!自転車で転倒も… 自転車が苦手なデヴィ夫人が、ジャージ姿で「自転車で一本橋を渡り切る」という特訓に挑戦。坂を上りきれず何度も転倒したが、そのたびに立ち上がった。

■フワちゃんに「好き」

ブチ切れドッキリも親切フワちゃんに!? フワちゃんにブチ切れるというドッキリ企画に挑むも、「デヴィ夫人、休んでてください」と気遣う彼女に「好きになってきた」と笑顔。ドッキリは中止に。

出会ってから25年…模擬葬儀で弔辞に涙デヴィ夫人の模擬葬儀を行う「終活特集」で、出川が「僕は、あなたが大好きでした!」と弔辞で読むと、「いい弔辞でした」と目を潤ませ、感動を呼んだ。

洋服を脱ぎ捨ててまさか! 出川と河北麻友子と3人で五右衛門風呂に入浴するも、「(洋服が)気持ち悪いわ」 出川もそれに続くと、「アハハハハ」と上機嫌で楽しんだ。

デヴィ・スカルノ 1940年2月6日生まれ。インドネシアのスカルノ元大統領夫人。社交界で「東洋の真珠」とうたわれていた。活動拠点を日本に置き、数々のバラエティ番組にも出演。「デヴィ夫人」の愛称で親しまれている。また、国際的な知名度を生かし、地球規模で慈善活動を行っている。
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