宗徒をまとめたカリスマ性に溢れた僧!一向宗の若きホープ・空誓の生涯を紹介【どうする家康】

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宗徒をまとめたカリスマ性に溢れた僧!一向宗の若きホープ・空誓の生涯を紹介【どうする家康】

『どうする家康』の7話「わしの家」8話「三河一揆でどうする!」9話「守るべきもの」で登場した、市川右團次さん演じる一向宗をまとめた本證寺の僧侶・空誓(くうせい)。

市川さんが空誓を演じたことで、貫禄がありながらどことなく優しさが溢れ出ていましたね。9話で劇中から退場となりましたが、その後の空誓についてどうなったか気になる方もいるのではないでしょうか?

今回は、三河一向一揆で活躍した空誓の一揆鎮圧後のその後について紹介します。

10代で一向宗の宗徒を率いた

蓮如/Wikipediaより

空誓は堅田(現在の滋賀県大津市)にある慈敬寺の4世実誓を父に、天文16年(1545)に生まれます。本願寺中興の祖・蓮如のひ孫にあたるので、出自がいいことがうかがえます。

永禄4年(1561)に本證寺9世である玄海が加賀一向一揆で戦死したことで、本願寺の11世・顕如は空誓を猶子にしました。そして玄海の娘婿となり、17歳で本證寺10世となりました

三河一向一揆で松平勢と戦う

徳川家康/Wikipediaより

永禄6年(1563)に、本證寺への守護使不入権を家康の家臣が破ったことで、三河一向一揆が勃発します。空誓も鎧を着用し、一揆勢を率いて松平勢と交戦

鉄棒を振り回して戦いますが、敗れてしまいました

そして、永禄4年(1564)に和議が結ばれ、三河一向一揆が収束します。一向宗は家康によって禁制にされ、三河国内にあった一向宗の寺は破壊されてしまいました。

居場所を失った空誓は、賀茂郡菅和田(現在の愛知県豊田市新盛町)に逃れました。菅和田では、岩屋に住んでいたと言われています。

本證寺の復興を果たす

本多重次/Wikipediaより

三河一向一揆から20年後の天正11年(1583)、家康は一向宗が三河国内に寺を建立することを許可しました。

しかしながら、空誓は仲介人の本多重次の書状を改ざんし、許可を得たと偽って幡豆郡荒川に道場を建てる事件を起こしています。これには重次も「俗方之上ニも珍敷事」と怒りを示しました。

そして、天正13年(1585)には本證寺は復興。同時に家康と親密な関係になるため、親交を取り始めます。その結果、一向宗の三河国内の地位確立を果たしました。

また、天正18年(1590)の関東転封で家康が江戸に拠点を移すと、末寺の徳本寺を置いています。

尾張徳川家と密接な関係に

徳川義直/Wikipediaより

家康と密接な関係になった空誓は、晩年になると家康からの頼みで尾張藩主となる徳川義直(家康の9男)を助けるよう依頼されます。空誓は、義直が尾張藩に来た際、清州城で祝辞を述べました。

それがきっかけで、本證寺住職は藩主や住職が後退した際には、登城謁見が許可さることが慣例となりました。また、住職交代の際には江戸城にいる将軍に謁見を許可されており、空誓は相当の世渡り上手だったことがわかります。

そして、波乱万丈な人生を生きた空誓は、慶長19年(1614)に70 歳で亡くなりました。

最後に

一代で徳川家との密接な関係性を築き上げた空誓の政治手腕には驚かされますね。また、一時的に敵となった空誓を重宝した家康の懐の深さにも尊敬の念を覚えます。どこかの場面で出てきたら面白いですね。

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