毛利元就に尼子に大内…誰もが血眼になって奪い合ったその山の名は「石見銀山」【後編】 (2/3ページ)
晴久の後継となった尼子義久は和睦を試みますが、元就は反対に「石見不干渉」を条件として和平を持ちかけたのです。
このことからも、いかに石見銀山の存在感が大きかったかが分かりますね。義久は泣く泣くこの条件を呑むことにしました。
毛利元就の財力を支えた「銀」こうして、1562年以降の20年間、石見銀山は毛利氏によって領有されることになります。
元就は、朝廷に石見銀山を献上し、銀100枚ほどを毎年上納することで、自分が銀山の正当な支配者であることを示したといいます。
元就はこのほかにも石見銀山を大いに活用しました。例えば石見銀を温泉津から出荷して、大陸との交易で拠点としていた赤間ケ関(現在の山口県下関)で、火薬の原料となる中国製の硝石を購入したりしています。