瀬名(有村架純)が築山殿に住んだ本当の理由。徳川家康(松本潤)に送った手紙が切なすぎた【どうする家康】 (2/3ページ)

Japaaan

あなたのせいで両親を喪った私を、少しは憐れんで下さるかと思ったら、何ですかこの待遇は。カッコウの啼き声が響きわたり、夏の短い夜さえも秋の夜長が八千日分にも感じられる寂しさ。あなた解りますか?

片敷袖(かたしきそで。袖片敷、独り寝)に夢も見られぬ寝心地の悪さ、気づけば床は涙の海、唐船(からぶね)さえ私を訪ねてはくれません。

重い女と思われるでしょうが、私はたとえ鬼になろうと、あなた愛(いと)しの一念を届けたいのです……

……この書状を読む限り、彼女が家康と離れて築山で暮らしたのは、彼女の意思ではなく強制された結果であると分かります。

私はあなたの正妻なのに、三郎の母親なのに。あなたのせいで両親を喪い、たった独りぼっちでこんな寂しいところへ追いやられて、たまに訪ねてさえも来てくれない。

なぜ家康はそこまで彼女を遠ざけたのでしょうか。恐らくはその嫉妬深さを疎んでのことと思われます。

生得悪質、嫉妬深き御人也……『玉輿記』

無数の悪質、嫉妬深き婦人也……『柳営婦人伝』

偏僻邪佞にして嫉妬の害甚し……『武徳編年集成』

凶悍にてもの妬み深くましまし……『改正三河後風土記』

創作を含め、彼女を批判するどの書物にも共通する嫉妬深さ。これでは側室も持てやしない……かくして家康は彼女を築山へと追いやり、数々の女性たちと関係を結んだのでした。

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