江戸時代、庶民に法令や禁止事項などを伝えた「高札」「触」どのように使い分けられていた? (2/2ページ)

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ただ、雨などで字がにじんだり、風化して読みづらくなったりしたものは、その都度書き直しが命じられました。

一方、法令とまではいきませんが、将軍の治世ごとにそれぞれ禁止事項などが定められると、それは「触」(ふれ)という形で庶民へと伝えられていきました。今で言うと「触」は、回覧板のようなもので、読み終わると村から村へ回されるようになっていました。

この触として有名なものは、おそらく皆さんもよくご存じの「慶安の御触書」です。一説によると、1649(慶安2)年に発布され、「酒や茶を飲まないこと」「米を食べ過ぎないこと」「物見遊山が好きな女房をもらわないこと」などというように、農民の日常生活における心得が記されていたようです。

以前はこの「慶安の御触書」、幕府が発した法令(幕法)とされていましたが、当時の農村の古文書や、幕府関係者の日記類などにも記載が見当たらないことから、現在では幕府が公式に発令したものではなかったとする説が有力です。

参考

山本 英二『日本史リブレット38 慶安の触書は出されたか』(2002 山川出版社)

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