前代未聞の征夷大将軍 襲撃・暗殺事件!「永禄の変」はなぜ起こったか【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

彼らは、足利義輝が将軍として復権することを嫌っており、傀儡体制を維持するために足利義栄を立てようと試みました。義栄は義輝のいとこにあたり、彼を操り人形とすることで権力を掌握しようとしたのです。

将軍暗殺

もともと義輝は、このように将軍が傀儡化されたことで社会秩序がめちゃめちゃになったのを知っていました。よって自身は傀儡となることをよしとせず、自らの責任で社会秩序を回復させようとしていたのです。

義輝と義栄が衝突するのは避けられませんでした。

このことがきっかけで、それまでは辛うじて保たれていた、三好氏と足利家(将軍家)との間に亀裂が生じていったのです。

そして1565年5月に惨劇が起きました。先述の三好三人衆と、松永久秀の息子である久通の軍勢が上洛し、一万の兵が義輝を襲撃したのです。

その時、義輝は居所である二条御所にいました。御所の警護は数百程度しかおらず、義輝とその家来たちは奮戦します。

京都の二条城(二条御所)

永禄の変の余波

実は義輝は、剣豪の塚原卜伝から剣術を学んだと言われており、その腕もかなりのものだったと推測されています。襲撃を受けた際、彼は自ら薙刀を手にし、刀を抜いて応戦したと言います。

しかし多勢に無勢で、義輝はついに討たれて壮絶な最期を遂げました。その最期はやや伝説めいていますが、討たれる直前まで敵を何人も斬り倒したと言います。

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