足利義昭、織田信長と出会う!やがて袂を分かつ二人の蜜月と野心【後編】 (2/3ページ)
が、最近は「天下」とは幕府や京を含む畿内地域を指しており、この頃の彼はあくまでも将軍による統治を目指していたのではないかと考えられています。
とにかくこうして、信長も義昭も千載一遇のチャンスを得て、1568年10月に義昭は信長に奉じられて念願の上洛を果たしました。この時点で足利義栄は病没していたので、義昭は15代将軍に就任します。
そして信長は三好勢を京から追っ払い、義昭には二条城を建てて居城を設けるなど破格の援助をします。当然、義昭も信長には深く感謝しました。
不遇?波乱万丈?足利義昭の生涯
ただ、二人の蜜月は長くは続かず、義昭はその後、その信長によって追放されるという憂き目に遭います。
最後まで自立した権力を確立できなかった足利義昭は、結局室町幕府を再興させられないまま病没します。これだけ聞くととても不遇な人のようですが、実は室町幕府の将軍の中では一番の長寿でした。
また、信長の死後も、あくまでも「室町幕府15代将軍」としての権威は公的にも保たれていたと考えられています。
確かに不遇ではありますが、細かく見るとそうとも言い切れない、不思議に波乱万丈な生涯でした。
「副将軍」にならなかった信長ところで、義昭が将軍に就任した直後、彼は信長を副将軍の職に据えようとしています。