家臣や藩主の遊郭通い・女遊びに対して戦国武将たちはどのように対処していた?

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家臣や藩主の遊郭通い・女遊びに対して戦国武将たちはどのように対処していた?

いつの時代も女遊びにふけってしまい、ほかのことに身が入らなくなってしまう人はいるものです。しかし、それが藩主であったり、武将をささえる大事な家臣たちであったらどうでしょうか。

今回の記事では、そんな大事な役割を担っていながら遊郭通いや女遊びにふけっていた人々に、周囲の人がどのように対処したのかをご紹介したいと思います。

徳川家康は作戦勝ち?

2023年の大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康。駿府の西端には有名な遊郭があったとか。遊女屋は80以上、多いときで遊女は300人以上にのぼったとも言われています。

そんな遊女たちに、徳川家康の若い家臣のなかで夢中になってしまう人たちがいたとか。

経済的に破綻しそうな家臣も出てきてしまいます。そんなとき、家康は遊郭のある町の踊りを上手く使うことに。そこで遊女たちの名前を一人ひとり確認していきます。

そして、茶坊主から遊女たちに「名指しでお召しがかかることもあろう」との一言が。

そこで困ったのが家臣たちです。自分が知っている遊女にお召しがかかったら、彼女たちから家康に何を告げ口されるかわからない、と恐れたのです。この作戦が功を奏し、その後の遊郭通いはなくなったと言われています。

藤堂高虎は博打より女遊びに重い刑を処した

戦国大名・藤堂高虎(とうどう・たかとら)も家臣の女遊びに困らされた人物です。家臣のなかから、5人が博打や女遊びで破産してしまったという一報が彼のもとにとどきます。そのうち3人が博打で、2人が遊郭通いで破産してしまったとか。

そんな彼らに対し、藤堂高虎が決めた処分がこちら。遊郭通いをした人は直ちに追放、博打をした人は減封の上で閉門百日間。

遊郭通いの方が重い処罰となったのですが、これは博打をする者は相手に挑もうとする気概があるが、女遊びをする者は役に立たぬ、という彼の考えからでした。この決定に、家臣たちは藤堂高虎を褒め称えたとか。

藩主である夫の女遊びをやめさせるために正室がとった行動とは?

最後に、藩主である夫の女遊びをやめさせるために正室がとった勇気ある行動をご紹介します。

江戸時代の安芸広島。第5代目藩主の浅野吉長は女好きで有名でした。仕事に影響が出るほどだったと言われています。正室の節子はそれを咎めますが、聞き耳持たず。

藩主がそんな様子では藩政が立ち行かなくなると考えた節子は、なんと切腹してしまいます。この行動に、浅野吉長は女遊びをやめ、公務に身を入れるようになりました。

もっと早く夫が目を覚ましていれば……と思ってしまいますよね。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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