鶴翼の陣で武田信玄を迎え撃った徳川家康。対する信玄は……戦国時代の陣形を紹介【どうする家康】

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鶴翼の陣で武田信玄を迎え撃った徳川家康。対する信玄は……戦国時代の陣形を紹介【どうする家康】

……信玄度々之陣丹あひ付給へバ。ぎよ里ん(魚鱗)丹そ奈へを立て引うけさせ給ふ。家康ハ。くワくよく(鶴翼)尓立させ給へバ。……

※『三河物語』第三下より

時は元亀3年(1572年)12月22日、迫りくる武田信玄(演:阿部寛)の大軍を迎え撃った徳川家康(演:松本潤)。

いわゆる三方ヶ原の合戦で、信玄が選んだのは魚鱗の備え(陣形)。対する家康は軍勢を鶴翼に立てた(陣形をとった)と言います。

徳川・武田両軍の死闘。楊洲周延「三方ヶ原合戦之図」

この魚鱗とか鶴翼といった陣形には、それぞれどんな意味があるのでしょうか。また、他にも陣形があるのでしょうか。

今回は戦国武将たちが用いた陣形について紹介したいと思います。

実際の有効性は微妙だった?

日本の陣形は古代中国の兵法から伝来したものと言われますが、どうもその実効性はあやしいものでした。

隊列を整えて戦うよりも、むしろ兵種(歩兵、騎馬、弓、鉄砲など)ごとに分けて運用した方が戦果を上げていたようです。

ただし実戦でまったく使われなかった訳ではなく、例えば武田家の名軍師として知られる山本勘助(やまもと かんすけ)が信玄に対して八陣を示しています。

信玄はさっそく長尾景虎(ながお かげとら。上杉謙信)との戦いで陣形を試みましたが、果たして効果のほどはどうだったのでしょうか。

やがて江戸時代になると実戦がなくなった一方で軍学が盛んになり、また軍記物語などでも物語を盛り上げるため陣形が言及されたと言います。

それでは実際の陣形はどのようなものだったのか、一つずつ見ていきましょう。

【八陣】魚鱗(ぎょりん)の陣形

魚鱗の陣形(イメージ)矢印は進行方向

魚の鱗(ウロコ)みたいに三角形(△)に密集した陣形。とがった先を敵に向け、少ない人数で敵中を突破するのに適しています。

ただし側面や背後からの攻撃には弱いため、包囲されないようとにかく速さで勝負しましょう。

【八陣】鶴翼(かくよく)の陣形

鶴翼の陣形(イメージ)

鶴が翼を広げたように、敵に向かってⅤ字なりU字に部隊を展開。大軍で少数の敵を包囲殲滅することに特化した陣形です。

兵数にもよりますが、往々にして中央(大将の居場所)が薄くなりがちなため、敵の中央突破に用心が必要となります。

【八陣】偃月(えんげつ)の陣形

偃月の陣形(イメージ)

偃月とは弓張月のこと。ブーメラン状態に部隊を展開、中央の大将が真っ先に斬り込むスタイルです。

味方の士気は上がり、大将回りの精鋭が戦うため攻撃力も高め。しかし大将が討死しやすかったり、大将が常に戦闘中なので両翼へ下知する余裕がなくなったりと言ったリスクが伴います。

【八陣】鋒矢(ほうし)の陣形

鋒矢の陣形(イメージ)

鋒矢とは鏃(やじり)のこと。部隊を矢印(↑)状に組み、ステータスを突破力に全振りした陣形です。

横も後ろも気にするな、とにかく前へ突き進め!を地で行っており、関ヶ原の合戦で退却する島津軍がこの陣形で徳川の大軍を突破しました。

【八陣】方円(ほうえん)の陣形

方円の陣形(イメージ)

大将を中心に、みんなが背中を預け合って丸くなる陣形で、全方位どこにも隙がない強みがあります。

ただし、兵力が全方向へ分散してしまうため、少数の場合そのまま押しつぶされてしまうでしょう。また機動性がほぼない(動くと崩壊する)ため、移動や攻撃には向きません。

【八陣】長蛇(ちょうだ)の陣形

長蛇の陣形(イメージ)

蛇のように長い隊列が特徴です。というより、地形などの事情で何となくのび切ってしまったようにも見えますね。

ただしこの陣形は「常山(じょうざん)の蛇」と言って、弱そうに見えて運用次第で敵を巧みに誘い込み、挟撃や包囲殲滅も可能なのです。

とは言えかなり上級者向け(兵も精鋭でないと実現不能)なので、積極的に採用すべきではないでしょう。

【八陣】衡軛(こうやく)の陣形

衡軛の陣形(イメージ)

衡軛とは牛車の軛(くびき。首木)。牛の首に挟み込む形を模した二列縦隊の陣形です。

敵に向かいながら左右に分かれ、挟み込んで前後に翻弄することを目的とします。山岳戦(谷間に敵を誘い込む時)などに用いられました。

【八陣】雁行(がんこう)の陣形

雁行の陣形(イメージ)

雁(がん、かり)が隊列を組んで飛ぶような陣形。敵に対して斜めに構え、味方の後詰(ごづめ。援軍)を待つ時に用います。

速やかに即戦力を組める代わり消耗戦には弱く、戦闘が長引くと不利になりがちです。

横陣(おうじん)

部隊を横列に並べる陣形の基本。むしろ陣形と言えるのでしょうか。広範囲に対して攻撃しやすく、正面の敵に対してある程度の防御力が見込めます。

一方で、中央を突破されると左右が分断され、各個撃破されてしまうもろさは否めません。

縦陣(じゅうじん)

今度は部隊を縦列に並べましょう。攻撃範囲は狭い代わり突破力には優れます。ただし側面からの攻撃に弱いことはお察しの通りです。

車懸(くるまがかり、車掛)の陣形

上杉軍の猛攻を受ける武田勢。「川中島合戦図屏風」より

円陣を組んだら車輪のように回転させ、敵陣に対してヒット&アウェイ(攻撃したらすぐ逃げる)を繰り返す陣形もしくは戦法です。

上杉謙信がよく用いたとされ、常に移動し続けることで寒い地方でも身体が温まり、また攻撃⇒移動しながら休憩⇒また攻撃というサイクルで兵士が疲れにくいと言われます。

上手くいったら非常にエモーショナルな戦闘場面が展開されるであろうものの、江戸時代の創作説もあるようです。

終わりに

以上、戦国武将たちが用いたとされる陣形などを紹介してきました。

三方ヶ原合戦における両軍の兵数と陣形。家康は三倍以上の敵をどうやって包囲殲滅しようと考えたのか(イメージ)

ここまで聞いて「あれ?家康の軍勢って信玄より少なかったんだよね(通説では、家康8,000に対して信玄30,000)?なんで多数の武田勢に対して鶴翼の陣を採用したの?」という疑問が湧いてくるのではないでしょうか。

逆に信玄は少数で大軍を突破する魚鱗の陣形。両者が逆ならまだ解るのですが……果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では陣形についてどう描写されるのか、第17回放送「三方ヶ原合戦」が楽しみですね!

※参考文献:

『三河物語』国立国会図書館デジタルコレクション 乃至政彦『戦国の陣形』講談社現代新書、2016年1月

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