その数10人超え!!三方ヶ原の戦いで討ち死にした徳川軍武将たちを紹介【どうする家康】 (3/4ページ)
翌年の三河一向一揆で帰参を許され、その後は織田氏の援軍としての六角氏の箕作城攻めや姉川の戦いに参加し、戦功を挙げました。
そんな正義は三方ヶ原の戦いで徳川本陣の守りについていました。しかし、馬場信春が突撃を決行することを知ると、成瀬家のことの弟・成瀬正一に託し、戦いに臨みます。
正義は家康の身代わりとなり、討ち死にしました。ちなみに、正義が討ち死にした場所は成瀬谷として知られています。
また、正義と共に討ち死にすることを約束した鳥居信元も、敵中に入った末に討ち死にしました。
土屋昌続と一騎打ちをした鳥居忠広
鳥居忠広は鳥居忠吉の4男として生まれました。兄には鳥居元忠がいます。忠広は元忠と同様武勇に優れ、姉川の戦いでは先鋒を務めました。
また、三方ヶ原の戦いでは武田軍との兵力差から籠城を主張。そのことで成瀬正義から腰抜けと呼ばれ、喧嘩になりました。後ほど正義とは仲直りしています。
籠城ではなく夜戦を選択したことで徳川軍が敗北すると、忠広は殿を引き受けます。
そして、武田二十四将の1人・土屋昌続(つちや-まさつぐ)との一騎打ちで討ち取られました。