武田の騎馬軍団は存在しなかったってホント?戦場で馬に乗るメリット・デメリットを考察【どうする家康】

Japaaan

武田の騎馬軍団は存在しなかったってホント?戦場で馬に乗るメリット・デメリットを考察【どうする家康】

疾きこと風の如く……侵掠すること火の如く……武田信玄(たけだ しんげん)の愛好した『孫子』兵法の一節ですが、風のような機動力と火のような攻撃力は、甲州・信州に産する駿馬によって支えられました。

整然と槍先を揃え、猛然と進撃する真紅(赤備)の騎馬軍団。そのカッコよさこそ、現代でも根強く続く武田人気の一因と言えるでしょう。

武田と言えば赤備の騎馬軍団(イメージ)

しかし近年、この武田の騎馬軍団について、馬に乗って戦うスタイルを否定する説が出ているとか。

確かに宣教師の記録には「馬から下りて戦っていた」武士たちも言及されています。馬はあくまで移動(進軍&逃走)の手段に過ぎなかったというのです。

果たして戦国時代の武士たちは、みんながみんな馬から下りて戦っていたのでしょうか?武田に限らず、騎馬武者なんて幻想に過ぎなかったというのでしょうか?

今回はそんな疑問を解消するため、馬に乗って戦うことのメリット・デメリットを考察。皆さんならどう思われるか、考えてみる参考になるかも知れません。

攻撃力は高まる一方、リスクや技術的ハードルも

まずは馬に乗って戦うことのメリット・デメリットを挙げてみましょう。

【馬に乗って戦うメリット】

高い位置から攻撃できる(力が入り、威力が増す) 突進力、突破力に優れる(もちろん逃げ足も速い) 敵を威圧できる(もちろん相手の胆力にもよる)

【馬に乗って戦うデメリット】

位置が高いため狙い撃ちされやすい(標的にされる) 馬が死ぬと経済的損失が大きい(気軽には代わりを買えない) 馬術(馬を制御しながら戦う)スキルが必須

ざっとこんなところでしょうか。メリットは攻撃力の増強、デメリットは討死や経済的なリスク、そして技術面のハードルと言えます。

果たして当時の武士たちは、これらのメリットとデメリットを天秤にかけて、戦う時は積極的に馬から下りる選択をしていたのでしょうか。

もちろん、技術的に無理な者(左手の手綱で馬を制御し、右手の武器で満足に戦えない者)は下りたでしょう。ぼんやり馬に乗っていたら、それこそ恰好の標的にされてしまいます。

ただし武士として戦場にいるからには、ただ生き延びる以上に戦って武功を求めねば話にならないのです。

位置が高いということはイコール目立つ、目立つからこそ武功をアピールできると考えるのが武士というもの。

目立ってナンボ、狙われてナンボ。たとえ死んでも名は残る、矢の雨にも怯まない新田義貞。楊洲周延筆

命を張ってナンボ、それでメシを食っているのですから、目立つ=撃たれるなんて考えていたら商売になりません。

ひたすら生き延びるだけが目的なら、最初から戦場なんか出て来ないのが一番です。

でも戦って馬が死傷したら、簡単には買い換えられない(金額面はもちろん、物量面でも)じゃないか……そう思われるかも知れません。

ならば質問です。あなたが下りた馬は、どこに預けておきますか?

戦場に安全なパーキングなんかあるはずもなし、前線から離れた場所にただ馬をつないでおいたら、盗まれてしまう可能性が高そうです。

いやいや、誰か見張りを……そんな人員(特に戦力となる男性)がいるなら、さっさと前線に回して下さい(老人ならばさっさと殺され、女子供なら奴隷に売り飛ばされるのがオチでしょう)。

下手をすると、あなたのつないでおいた馬を敵が盗み、あなたに襲い掛かってくるという最悪シナリオだってあり得るのです。

その敵にしてみれば、あなたから盗んだ馬は棚ぼた(元々なかったもの)ですから、最悪乗りつぶすつもりで遠慮なく突っ込んでくるでしょう(状況にもよりますが、筆者なら間違いなくそうします……もし馬術の心得があれば)。

いざそうなった時、あなたは徒歩で騎馬の敵を相手に戦わねば……え、あなたの愛馬はご主人様を裏切るようなことはしない?

もしそこまでの絆が育まれているなら、あなたの馬術は相当の域に達しているはず。ならば尚更乗っていた方がよいかと愚考します。

高価な馬を死なせてしまう経済損失を心配する前に、まずは戦って勝ち、かつ自身が生き延びることを第一に考えるのがおすすめです。そのために必要な戦力を、わざわざ後方に温存しておくのはあまり得策とは言えません。

要するに「馬は確かに貴重だけど、それは自分の命と引き換えにしても守るべきですか?」という話です。

侍の頭を仕つらん者は

馬上で槍を奮うのは大変だが、それを乗り越えてこそ敵を圧倒できる。歌川国芳「太平記英勇傳 合郷基左ェ門久盈」

先ほど宣教師の記録に登場した「馬から下りて戦った武士たち」だって、馬術に長けていたならば(もちろん地形的な条件などもあるでしょうが)、馬に乗ったまま戦ったでしょう。

「侍の頭を仕つらん者は馬より下りて鑓を合せ、高名すること多くはあるまじ。馬の上にて下知を致し、そのまゝ勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」

※『甲陽軍鑑』品第六「信玄公御時代大将衆の事」

【意訳】将たる者が馬から下りては、大した槍働きもできぬ。馬上から兵に下知し、自身も戦うためにこそ、片手で手綱を操る稽古をしておるのだ(正木弥九郎時茂の発言)。

だから武田の猛将・山県昌景(やまがた まさかげ)は、武士が心得るべき「武芸四門(弓術・鉄砲・兵法・馬術)」その中でも、まず馬術の鍛錬を勧めたのでした。

……馬を最前に習ふは、馬と申もの、軍場にて何にたる大身も、代りを立て人を頼みて乗らぬなり。……

※『名将言行録』巻之九〇山縣昌景

【意訳】何をおいても馬術を学ばねばならぬ理由は、どんなに偉い大将であろうと、戦場で代わりに乗ってもらうことができないからである。

古来、武士は「弓馬」の者と呼ばれたように、馬上から矢を放つ(もちろん両手を使う。その時、馬は足で制御する)騎射は当然に出来るものとされました。

平安・鎌倉時代の武士たちに出来たことが、どうして数百年を経た戦国時代の武士たちにはできないのでしょうか。個人差があるのは当然としても、できるように鍛錬して敵を出し抜こうと考えるのが自然です。

そもそも「戦国時代の武士たちが馬で戦ったはずはない」と考える発想からは「そこまでして戦いたくない。乗りこなすのも難しいから無理!」といった現代人的な本音が透けて見えます。

もちろん戦わずに済むなら、戦国時代の武士たちだって戦いたくはなかったでしょう。しかし戦わねば生活が立ちいかない貧しさに迫られて、多くの者たちは戦ったのです。

この世界から、戦争なんてなくなればいいのに……恐らくほぼ全人類の願いがなぜ叶わないのか。

叶わない以上、少しでも強くなって自分たちだけは勝ち抜いて生き延びる。家族を愛し故郷を守るためなら、鬼にも修羅にもなるのです。

その目的を果たすのに有効であるなら、高価だろうが貴重だろうが馬に乗って戦う……それを決断させる切実な事情があったのでした。

馬をガンダムに喩えると

ここまで聞いても、まだやっぱりピンとこない方も少なくないかと思います。

ではアニメの話で恐縮ながら、馬を「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」に喩えると、分かりみが深まるかも知れません。

それらが敵の攻撃によって破損すると、その修繕や代替機の用意には莫大なお金がかかります。じゃあ「お金がもったいないから」と言って、あなたは敵のモビルスーツや使徒たちに、生身で立ち向かいますか……そういう事です。

いくら高価であろうと、使うべき時に使わねば宝の持ち腐れである(イメージ)

強力な敵を打ち破るためには、経済面を含めあらゆるリスクをとって戦うほかにありません。これは現代の戦争・兵器でも同じことが言えます(ここでは分かりやすく極端に、アニメで喩えてみました)。

これらの原則を元に考えれば、武田家が自身の強みである馬を戦場に投入しないはずがありません。

鍛え上げた武士たちが人馬一体となって敵を圧倒する。実際に戦えば強いし、天下の武士たちは武田の威名に恐れをなしたことでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、信玄最後となろう大舞台で、武田の誇る騎馬軍団がどのような活躍を魅せてくれるのか。心して見届けたいですね!

※参考文献:

稲田篤信『里見軍記・里見九代記 里見代々記』勉誠出版、1999年5月 岡谷繁実『名将言行録 (一)』岩波文庫、1943年9月 佐藤正英 訳『甲陽軍鑑』ちくま学芸文庫、2013年8月 清水克行×高野秀行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』集英社インターナショナル、2018年2月 平山優『検証 長篠合戦』吉川弘文館、2014年7月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「武田の騎馬軍団は存在しなかったってホント?戦場で馬に乗るメリット・デメリットを考察【どうする家康】」のページです。デイリーニュースオンラインは、名将言行録甲陽軍鑑山県昌景どうする家康正木時茂カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る