三方ヶ原の前哨戦!20倍超の武田軍を迎え撃った二俣城の攻防【どうする家康】 (2/3ページ)
戦国時代の籠城戦は、まず火力(弓でも悪くはないけど射程や威力に難あり)で制空権を確保。上方からの攻撃を防いで石垣や土塁をよじ登ることで、門以外の多方向から攻め込むことが可能となった(イメージ)
数に任せて押しつぶすことも不可能ではありませんが、それをやったら損害が大きすぎて、上洛どころか浜松城にいる徳川家康(演:松本潤)さえ倒せないでしょう。
……そんな状態で、よく上洛しようと思いましたね?(だから信玄の挙兵は上洛目的でなく、あくまで遠江・三河の切り取りであったとする説もあるようです)
ともあれ、力攻めを諦めた信玄は二俣城の水を断つことにしました。
二俣城には井戸がなかったため、天竜川に面した崖から櫓を張り出し、その上から釣瓶で水を汲んでいたのです。
多くの筏を作って上流から流し、水汲み櫓の柱に当てて破壊するという実に回りくどい作戦を実行。
果たして作戦は成功、櫓は崩れ落ちて城兵は水を汲めなくなってしまいました。命中率や柱の耐久性を考えると、どれだけの筏を流したんでしょうね。
「さぁ、喉が渇いては戦もできまい?」
一方、中根正照らもこんな事態に備えて雨水を貯めておくなどしていたようです。それでも1,200名の水を供給するのは容易でなく、11月30日にとうとう開城を決断しました。
終わりに「我らに従うか、戻って再び我らと戦うか、選んでよいぞ」
中根正照・青木貞治・松平康安ら譜代の家臣は浜松へ逃げ帰り、城兵たちはほとんど信玄に臣従したと言います。